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連載・特集

声を届けて 世界平和巡礼60年 <下> 平和使節

「一期一会」の精神息づく

 「K―POPやドラマや食べ物でしか興味がなかったけど、日韓関係に関心が生まれ、帰ってからいろいろ調べ始めました」「韓国語、始めようと思います」。先月、広島市内で開かれたNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC)主催の韓国PAX(平和使節交換プログラム)報告会。被爆者と共に韓国へ派遣された高校生たちが目を輝かせる。

 4月下旬~5月初旬ソウルなどを訪問。受け入れ団体の関係者宅にホームステイしながら韓国の歴史や文化を学び、高校や教会を訪ねてヒロシマを伝えた。互いの歴史観や平和を阻む問題についても意見を交わした。

 「PAX」はWFCと米国・韓国の平和団体が隔年で使節を交換する事業の一つ。韓国PAXは2003年からだが、米国との往来はもっと古く、WFC創設者バーバラ・レイノルズ(1990年死去)が率いた60年前の「広島・長崎世界平和巡礼」以降連綿と続く。

 <解散なんかできぬ 平和願いさらに活動>

 1964年12月26日付本紙社会面にこんな見出しがおどる。同年4~7月、核保有国など8カ国を歴訪した総勢40人の巡礼団のその後を報じる記事だ。帰国と同時に解散する予定が、活動を続けているとの内容である。

 巡礼中にした借金の整理も必要だったが、各地での出会いが縁で巡礼団を頼って被爆地にやって来る人々の受け入れも忙しかったようだ。

WFC創設へ

 ベトナム戦争で核使用も懸念されていた時期。巡礼団は65年5月、当時の米大統領ジョンソンにベトナムからの米軍即時撤退を求め要請文を送っている。巡礼で出会った団体と個人にも宛て米政府に働きかけるよう約300通を送ったという。

 「人と人が出会い、友情を育むことが平和につながる」。巡礼を経て確信を得たレイノルズは同年8月、巡礼実行委員長も務めた医師原田東岷(とうみん)(99年死去)と広島市内にWFCを創設した。

 レイノルズが69年に米国に帰ってからも志を受け継ぐ有志が支え、被爆25年の70年には64年に続く「平和巡礼」を実現。翌71年、今度は米国からの使節団を迎える。72~76年には日米の若者がペアで平和に対する責任を学ぶ青少年平和セミナーに発展。教師交換プログラムを経て91年からPAXの名称で今に続く。

「互いを知る」

 「一方通行ではなく、お互いを知ることで理解し合える」。今回のPAXで体験を語った被爆者伊藤正雄(83)は話す。原爆によって日本の植民地支配から解放されたという見方が根強い韓国。高校生たちも歴史観の違いを実感したという。現地の高校生から「歴史授業で日本が嫌いになる」とも聞いた。崇徳高3年石川望(18)は「お互い自分たちの被害はよく知っていても他国の被害や自国の加害は学んでいない。客観的に歴史を見ていく必要を感じた」と語る。

 「被爆証言が受け入れられるか心配だったが、想像以上に聞いてもらえた」と話すのは、広島女学院高3年森上知夏(17)。「現地の高校生は、原爆で人が焼かれ自分と同世代も巻き込まれたと知り、人ごとではないと話していた。同じ人間として立場を超え話し合う重要性に気付かされた」と語る。「市民レベルの交流が関係を前進させる」とは大半のメンバーから出た言葉だ。

 「一期一会が平和を築く」とのレイノルズの言葉を理念とするWFCは8月、今度は米国から使節を迎える。「巡礼」がまいた種は土の中でじっくり根を張ろうとしている。=文中敬称略(森田裕美)

(2024年7月19日朝刊掲載)

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