[ヒロシマの空白 街並み再現] 基町かいわい 並木道 市民の日常
24年7月22日
傘を手にした女性と、並木道で自転車をこぐ人たちの姿が見える。広島市民の日常を捉えた一枚は、原爆ドーム(広島市中区)の北側、相生橋東詰めを旧太田川(本川)沿いに約100メートル上流へ進んだ辺り。昭和初期の撮影とみられる基町かいわいの写真である。
1897年創業のかばん屋「片岡商店」を中区十日市で営む片岡功さん(76)宅に残るアルバムにあった。撮影者は分からない。
広島城を含む基町と周辺は明治時代に陸軍第五師団が編成されて以降、陸軍施設が立ち並び、撮影地点を東に進むと「西練兵場」があった。「軍都広島」を象徴する一帯だった。原爆資料館の落葉裕信学芸係長によると「この辺りを記録した写真で周辺の街並みも写るものは数少なく、貴重な一枚」だという。
貴重な写真は他にも。旧太田川(本川)の川岸から下流に向けて、相生橋東詰めを望む構図。広島電鉄の櫓下(やぐらのした)変電所や県産業奨励館(現原爆ドーム)の丸い屋根が見える。現在は平和記念公園となっている橋の向こうの旧中島地区には、家屋や店舗が軒を連ねる。相生橋が電車専用橋だった1912~32年の撮影とみられる。
一帯は原爆で壊滅的な被害を受けた。戦後は川沿い一面にバラック(小屋)が並び、被爆者たちが身を寄せ合う生活の場となった。近年は、戦後に広島東洋カープの本拠地となった旧市民球場跡地が「ひろしまゲートパーク」になるなど、再開発によって変貌を続けている。(新山京子)
被爆前の写真 募集しています
広島の街と市民の営みを捉えた1930年前後~45年8月5日撮影の写真を募っています。写真やアルバムはこちらでスキャンした上でお返しします。メールpeacemedia@chugoku-np.co.jp ☎082(236)2801
原爆で壊滅する前の広島の写真約1300枚をグーグルマップ上に配置し、「ヒロシマの空白」ウェブサイトで公開しています。ぜひご覧ください。
(2024年7月22日朝刊掲載)
1897年創業のかばん屋「片岡商店」を中区十日市で営む片岡功さん(76)宅に残るアルバムにあった。撮影者は分からない。
広島城を含む基町と周辺は明治時代に陸軍第五師団が編成されて以降、陸軍施設が立ち並び、撮影地点を東に進むと「西練兵場」があった。「軍都広島」を象徴する一帯だった。原爆資料館の落葉裕信学芸係長によると「この辺りを記録した写真で周辺の街並みも写るものは数少なく、貴重な一枚」だという。
貴重な写真は他にも。旧太田川(本川)の川岸から下流に向けて、相生橋東詰めを望む構図。広島電鉄の櫓下(やぐらのした)変電所や県産業奨励館(現原爆ドーム)の丸い屋根が見える。現在は平和記念公園となっている橋の向こうの旧中島地区には、家屋や店舗が軒を連ねる。相生橋が電車専用橋だった1912~32年の撮影とみられる。
一帯は原爆で壊滅的な被害を受けた。戦後は川沿い一面にバラック(小屋)が並び、被爆者たちが身を寄せ合う生活の場となった。近年は、戦後に広島東洋カープの本拠地となった旧市民球場跡地が「ひろしまゲートパーク」になるなど、再開発によって変貌を続けている。(新山京子)
被爆前の写真 募集しています
広島の街と市民の営みを捉えた1930年前後~45年8月5日撮影の写真を募っています。写真やアルバムはこちらでスキャンした上でお返しします。メールpeacemedia@chugoku-np.co.jp ☎082(236)2801
原爆で壊滅する前の広島の写真約1300枚をグーグルマップ上に配置し、「ヒロシマの空白」ウェブサイトで公開しています。ぜひご覧ください。
(2024年7月22日朝刊掲載)