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社説・コラム

『ひと・とき』 洋画家 難波平人さん 父の終焉の地にまなざし

 画業60年。今も後進を指導し、一昨年は「世界集落」をテーマに東広島市立美術館で個展を開いた。ライフワークだったが、もう一仕事ある。幼い頃に30歳で戦死した父親の終焉(しゅうえん)の地に赴くことだ。厚生労働省や防衛省防衛研究所戦史研究センターを通じて軍歴をつぶさに知り、思い立った。

 山口県上関町白井田の生まれ。父兵一さんは陸軍歩兵として三回召集され、うち二回は無事に復員したが、最後は乗り組んだ輸送船「満州丸」がルソン海峡で米潜水艦によって撃沈され、多くの将兵と運命を共にした。

 「昔は父をはじめ戦死者を語れない空気がありました」。父の死を封印する代わりだったのか、中学時代の美術教師の影響で油絵に目を向け、同町祝島の石積みの景観などを描いてきた。近年は学徒出身の人間魚雷「回天」搭乗員、和田稔少尉を追悼する碑を監修し、彼の遺体が漂着した白井田に建立することに協力した。

 「画業とはしょせん、『個』を突き詰めることです」と言う。「世界集落」の取材でブラジルのスラム街のスケッチを敢行した行動力は衰えず、まなざしは南の海に向かう。東広島市在住。 (佐田尾信作)

(2024年7月23日朝刊掲載)

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