緑地帯 西谷真理子 私と中国地方出身のデザイナー③
24年7月25日
2016年5月に、米国のバラク・オバマ大統領が広島を訪れたきっかけの一つは、三宅一生さんが09年にヘラルド・トリビューン紙に寄せた手紙だと言われている。
三宅さんの仕事を1960年代から見ていくと、「プリーツプリーズ」を考案したあたりから、少しトーンが変わった気がする。会社の規模が大きくなり、デザイナーの地位を若い世代に譲ったことも関係しているのかもしれない。
でも、そういったこととはまた別の、内的な変化が三宅さんの中で起こったように思える。大きな要因は、2011年の東日本大震災とそれに起因する福島第1原発事故だろう。
イッセイミヤケが、素材や糸を発注してきた多くの工場や、こぎん刺し、草木染、裂織(さきおり)など伝統的なものづくりを続けてきた職人たちが被災したことを受け止め、自身が設立した東京・六本木のデザイン美術館「21_21DESIGNSIGHT」で、11年7月から東北の手仕事をテーマにした展覧会「東北の底力、心と光。」、また翌年には「テマヒマ展。<東北の食と住>」を次々に開催し、ファッションから遠いと見られがちな東北のものづくりにいち早く温かい光を当てた。
これは、デザインの斬新さを追い求めた80年代の動きとは異なっていた。もしかすると、こうした行為の前触れに、オバマ大統領の広島来訪を望んで米国の新聞に送った手紙もあるのではないかと思えるのだ。(編集者=東京都)
(2024年7月25日朝刊掲載)
三宅さんの仕事を1960年代から見ていくと、「プリーツプリーズ」を考案したあたりから、少しトーンが変わった気がする。会社の規模が大きくなり、デザイナーの地位を若い世代に譲ったことも関係しているのかもしれない。
でも、そういったこととはまた別の、内的な変化が三宅さんの中で起こったように思える。大きな要因は、2011年の東日本大震災とそれに起因する福島第1原発事故だろう。
イッセイミヤケが、素材や糸を発注してきた多くの工場や、こぎん刺し、草木染、裂織(さきおり)など伝統的なものづくりを続けてきた職人たちが被災したことを受け止め、自身が設立した東京・六本木のデザイン美術館「21_21DESIGNSIGHT」で、11年7月から東北の手仕事をテーマにした展覧会「東北の底力、心と光。」、また翌年には「テマヒマ展。<東北の食と住>」を次々に開催し、ファッションから遠いと見られがちな東北のものづくりにいち早く温かい光を当てた。
これは、デザインの斬新さを追い求めた80年代の動きとは異なっていた。もしかすると、こうした行為の前触れに、オバマ大統領の広島来訪を望んで米国の新聞に送った手紙もあるのではないかと思えるのだ。(編集者=東京都)
(2024年7月25日朝刊掲載)