復興への道 企業の役割は マツダで「助け合いの精神」学ぶ 紛争頻発 ナイジェリアの行政職員10人
24年7月26日
紛争からの復興に取り組むナイジェリアの行政職員10人が、国際協力機構(JICA)の事業で来日し、府中町のマツダ本社で研修を受けた。原爆被害からの再起を事例に、復興や平和構築に向けて企業が果たす役割を学んだ。
同社地域リレーショングループの植月真一郎さん(56)が講師を務めた。原爆で従業員119人が命を落とした一方、爆心地から離れた本社は被害が限定的だったため、事務所を失った役所や企業にスペースを開放した逸話を紹介。4カ月後に生産を再開した三輪トラックが物資やがれきを運び「長く厳しい復興の象徴となった」と語った。
被爆で広島市の人口や税収が減り、行政主導の復興が困難な中、企業が協力して地域をリードしたと説明。オイルショックでマツダが経営不振に陥った1970年代に起こった「バイ・マツダ」運動にも触れ、「企業と市民の助け合いの精神が復興を強く後押しした」と結んだ。
ナイジェリアは2009年以降、イスラム過激派によるテロが北東部を中心に頻発している。視察団のモハメド・アバ・ガナ団長(51)は「事務所を失った他の企業や行政を受け入れたマツダの姿に感銘を受けた。ナイジェリアでも、企業の支援が復興のポイントになると感じた」と話した。
一行は東日本大震災の被災地なども視察した。帰国後は復興計画策定に当たる。(岸慶太)
(2024年7月26日朝刊掲載)
同社地域リレーショングループの植月真一郎さん(56)が講師を務めた。原爆で従業員119人が命を落とした一方、爆心地から離れた本社は被害が限定的だったため、事務所を失った役所や企業にスペースを開放した逸話を紹介。4カ月後に生産を再開した三輪トラックが物資やがれきを運び「長く厳しい復興の象徴となった」と語った。
被爆で広島市の人口や税収が減り、行政主導の復興が困難な中、企業が協力して地域をリードしたと説明。オイルショックでマツダが経営不振に陥った1970年代に起こった「バイ・マツダ」運動にも触れ、「企業と市民の助け合いの精神が復興を強く後押しした」と結んだ。
ナイジェリアは2009年以降、イスラム過激派によるテロが北東部を中心に頻発している。視察団のモハメド・アバ・ガナ団長(51)は「事務所を失った他の企業や行政を受け入れたマツダの姿に感銘を受けた。ナイジェリアでも、企業の支援が復興のポイントになると感じた」と話した。
一行は東日本大震災の被災地なども視察した。帰国後は復興計画策定に当たる。(岸慶太)
(2024年7月26日朝刊掲載)