×

ニュース

「ヒロシマ日記」の蜂谷元院長 顕彰組織きょう設立 岡山市内

■記者 平川勝憲

 原爆の残忍さを医師の目で記録した「ヒロシマ日記」で世界的に知られる蜂谷道彦元広島逓信病院長(1903~1980年)の出身地、岡山市北区津高地区で25日、元院長の顕彰組織が発足する。住民有志が設立し、遺品の保存や生家の活用などに取り組む考えだ。

 蜂谷元院長は爆心から1キロ余りの自宅で被爆。体にガラスが突きささり血まみれになりながら病院に駆け付けて被爆者を治療し、体験を出版した。

 古里の津高地区には退職後の1967年に戻り、晩年を過ごした。現在、生家は近所の人が譲り受け、「日記」を報道した外国の新聞の切り抜きや蔵書などは遺族の元に未整理のまま残っている。

 昨秋、貴重な資料が眠っていることを郷土史講座で知った近くの元参院議員森暢子さん(77)ら6人が協議。「蜂谷先生に再び光を当て、功績を次代に伝えたい」と顕彰に乗り出し、賛同者を募っていた。

 25日は地元公民館に約40人が集い、設立総会を開く。遺品の保存や記念碑建立などの事業を定め、具体策を練る。生家の見学会開催も所有者に打診する意向だ。森さんは「顕彰を通じて世界平和につながる活動をしたい」と話す。

ヒロシマ日記
 蜂谷広島逓信病院長(当時)が1945年8月6日から56日間に目にした被害や原爆症患者の症状などをつづった。病院機関誌の連載が米国に紹介され「HIROSHIMA DIARY」として発刊。55年に日本でも出版され、十数カ国語に翻訳された。「ヒロシマ日記 新装版」(法政大学出版局)が入手可能。

(2009年7月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ