ドイツ出身ガイド ヒロシマを伝える 安佐北のフォークトさん、市観光ボランティア協の一員に 英語で解説 義父母の体験も
24年7月30日
ドイツ出身で広島市安佐北区在住のルッツ・フォークトさん(57)が今夏、市観光ボランティアガイド協会でガイドデビューした。同協会初の外国人ガイド。妻の両親から戦時中の体験を聞き、「大好きな広島の歴史を伝えたい」と一歩踏み出した。(石井千枝里)
今月中旬、平和記念公園(中区)での2度目のガイドに臨んだ。約1時間、原爆ドームや原爆の子の像など約10カ所を巡り、身ぶり手ぶりを交えて英語で解説。オーストラリアから訪れたマックス・ブランプトンさん(20)は「詳しい説明で、歴史がつながっていると感じた」と話していた。
フォークトさんはドイツの航空会社の元パイロット。国際線を担当していた2000年に初来日し、人柄にひかれ日本が好きになった。日本語を学ぶため通い始めた現地の外国語学校で妻の由美さんと出会い、結婚。2年前に日本へ移住した。
日本の歴史にも興味があった。海外生活が長く「家族の歴史を知りたい」という由美さんと一緒に、同居する93歳の義父と88歳の義母から話を聞き、衝撃を受けた。
旧制広島二中(現観音高、西区)2年生だった義父は1945年8月6日、赤痢の療養で安佐北区の自宅にいた。市中心部に行こうと家を出ると母に呼び止められた。戻って寝ていると「ドーン」と音がした。同級生の多くはJR広島駅北側にあった東練兵場にいて命は助かったが、中島新町(現中区中島町)で建物疎開に従事していた後輩は全員亡くなった。義母は三次市に疎開していたが、広島市内にいた母が被爆し、年内に息を引き取った。
「出会った頃から優しいお父さんとお母さんが経験したことを他の外国人にも知ってほしい」。昨夏にガイド募集の知らせを見つけ、由美さんとともに参加を決めた。協会の柴田武志会長(76)は「原爆の被害を次世代に引き継がなければいけない中、心強い存在」と話す。フォークトさんは「聞く人の興味に沿った案内ができるよう励みながら、義父母の体験を伝え続けたい」と力を込める。
(2024年7月27日朝刊掲載)
今月中旬、平和記念公園(中区)での2度目のガイドに臨んだ。約1時間、原爆ドームや原爆の子の像など約10カ所を巡り、身ぶり手ぶりを交えて英語で解説。オーストラリアから訪れたマックス・ブランプトンさん(20)は「詳しい説明で、歴史がつながっていると感じた」と話していた。
フォークトさんはドイツの航空会社の元パイロット。国際線を担当していた2000年に初来日し、人柄にひかれ日本が好きになった。日本語を学ぶため通い始めた現地の外国語学校で妻の由美さんと出会い、結婚。2年前に日本へ移住した。
日本の歴史にも興味があった。海外生活が長く「家族の歴史を知りたい」という由美さんと一緒に、同居する93歳の義父と88歳の義母から話を聞き、衝撃を受けた。
旧制広島二中(現観音高、西区)2年生だった義父は1945年8月6日、赤痢の療養で安佐北区の自宅にいた。市中心部に行こうと家を出ると母に呼び止められた。戻って寝ていると「ドーン」と音がした。同級生の多くはJR広島駅北側にあった東練兵場にいて命は助かったが、中島新町(現中区中島町)で建物疎開に従事していた後輩は全員亡くなった。義母は三次市に疎開していたが、広島市内にいた母が被爆し、年内に息を引き取った。
「出会った頃から優しいお父さんとお母さんが経験したことを他の外国人にも知ってほしい」。昨夏にガイド募集の知らせを見つけ、由美さんとともに参加を決めた。協会の柴田武志会長(76)は「原爆の被害を次世代に引き継がなければいけない中、心強い存在」と話す。フォークトさんは「聞く人の興味に沿った案内ができるよう励みながら、義父母の体験を伝え続けたい」と力を込める。
(2024年7月27日朝刊掲載)