×

ニュース

小澤征爾さん 平和の原点 現原爆資料館 見学写真見つかる 73年 広島公演時に訪問か

 2月に88歳で亡くなった世界的指揮者小澤征爾さんが、米ソ冷戦期の1973年、広島平和記念館(現原爆資料館東館)を見学する写真が広島市内で見つかった。音楽を通じて平和のメッセージを発信し続けたマエストロの「原点」を物語る貴重な資料だ。(桑島美帆)

 同年12月23日、中区の広島郵便貯金ホール(現上野学園ホール)で桐朋学園オーケストラの公演があり、38歳だった小澤さんが初めて広島で指揮。本番前後に、記念館を訪れたとみられる。

 焼け野原となった広島の街、原爆の後障害に苦しむ被爆者、54年の米国の水爆実験で被曝(ひばく)したマグロ漁船「第五福竜丸」の被害…。母さくらさん(2002年に94歳で死去)を伴って展示パネルに見入る小澤さんの姿が、5枚のモノクロ写真に写る。

 当時、小澤さんは米サンフランシスコ交響楽団やボストン交響楽団の音楽監督を兼務していた。原爆資料館の落葉裕信学芸係長(47)は「初めて見る写真だ。熱心に見学している様子が伝わってくる。米ソ冷戦下で核兵器の脅威を身近に感じていたのでは」と話す。

 軍医だった小澤さんの父方の叔父静さんは、広島で被爆し、救護所で被爆者の治療に従事。戦後、白血病で亡くなった。小澤さんの兄俊夫さん(94)=川崎市=は「叔父から体験を聞き、征爾も小さい頃から原爆の恐ろしさを感じていた。実際に広島を訪れ『ショックを受けた』と話していた」と証言する。

 写真は、桐朋学園子供のための音楽教室広島教室の創立者、大畠弘人さん(1998年に71歳で死去)の遺品から見つかった。昨年3月、広島キリスト教会(中区)にあった同教室の移転が決まり、講師の大下祐子さん(59)たちが整理中に発見。73年の広島公演のポスターや、小澤さんの恩師・斎藤秀雄さんの広島訪問時の写真など、計約200点が見つかった。

 小澤さんは76年にポーランドの作曲家による「広島の犠牲者に捧(ささ)げる哀歌」を欧州で演奏、85年には広島市出身の糀場(こうじば)富美子さんが作曲した「広島レクイエム」を米国初演。その後も、犠牲者を追悼し、平和を訴える作品を積極的に取り上げた。音楽ジャーナリストの岩野裕一さん=東京=は「非常に貴重な写真。広島での体験が、後の活動に影響を及ぼしたことが分かる」と話す。

(2024年7月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ