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連載・特集

緑地帯 西谷真理子 私と中国地方出身のデザイナー⑤

 西荻窪で母と兄姉らと東京暮らしを始めた森英恵さんは、戦争中に医者の道を歩んでいた兄2人を結核で失い、父に医者になることを望まれるが、期待に応えず、東京女子大に進む。

 そして卒業と同時に森賢氏と結婚し、洋裁を学び、1951年に同級生と新宿駅近くに洋裁店「ひよしや」を開く。バラックに近い建物の2階を借りディスプレーを工夫したら繁盛して、進駐軍の妻たちも次々にやってきた。夫は仕事を辞めて経営に加わった。喫茶店でファッションショーをやったりもした。

 うわさを聞きつけた日活映画の関係者が訪れ、森さんは、映画スターが流行をけん引する時代に映画の衣装デザイナーとしても活躍した。日活の石原裕次郎、浅丘ルリ子、吉永小百合たちに始まって、60年代にかけて数百本もの映画衣装を制作。新宿の狭い店では収まらず、銀座にも出店した。

 こうして森さんは、映画を経て、世界に羽ばたくファッションデザイナーになっていった。そんなまぶしい活躍をしながらも2005年、益田市にグラントワが開館して、彫刻家の澄川喜一さん(1931~2023年)がセンター長に就任すると、森さんは衣装を寄贈し、美術館の在り方について助言した。偶然にも澄川さんは、同じ六日市の出身で、小学校の4年後輩。東京芸術大の学長を経ての就任を、森さんは驚き喜んだことだろう。来年には、グラントワで森英恵生誕100年の記念展が開催される予定だ。(編集者=東京都)

(2024年7月30日朝刊掲載)

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