緑地帯 西谷真理子 私と中国地方出身のデザイナー⑥
24年7月31日
「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」を率い、「ここのがっこう」というファッションデザイナーを育成する学校を運営し、「ファッション」のイメージを塗り替える活動を続けている山縣良和さん(1980年~)。「僕は、田んぼと山しかない鳥取の田舎(鳥取市立川町)で生まれ、勉強は苦手、コミュニケーションを取るのも下手な子供でした。友人の影響でファッションに関心を持ち、まず大阪に出たもののうまくいかず、留学という手段があることを知り、ロンドンに行きました」と山縣さんは自嘲気味に言うが、セントマーチンズ美術大で学ぶうちに自身の特異性を発見し、帰国後は、服を使って自身の世界観を表現してきた。
私も企画に加わった東京オペラシティでの「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」(2011年)では、10組の若手デザイナーが、それぞれのブースを使って「ファッション」を展示。山縣さんは、小屋の中で織機の周りをたくさんの動物が取り囲み、みんなでお札を織っている場面を制作。お札は0円札。ファッションが価格で評価されることを批判した。
その後も、文明批評を感じさせるテーマを、独特のショーや展示で発表してきた。24年春には、群馬県の「アーツ前橋」で「ここに いても いい リトゥンアフターワーズ 山縣良和と綴(つづ)るファッション表現のかすかな糸口」展を開催。活動をアートの視点で眺め返す絶好の機会になった。(編集者=東京都)
(2024年7月31日朝刊掲載)
私も企画に加わった東京オペラシティでの「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」(2011年)では、10組の若手デザイナーが、それぞれのブースを使って「ファッション」を展示。山縣さんは、小屋の中で織機の周りをたくさんの動物が取り囲み、みんなでお札を織っている場面を制作。お札は0円札。ファッションが価格で評価されることを批判した。
その後も、文明批評を感じさせるテーマを、独特のショーや展示で発表してきた。24年春には、群馬県の「アーツ前橋」で「ここに いても いい リトゥンアフターワーズ 山縣良和と綴(つづ)るファッション表現のかすかな糸口」展を開催。活動をアートの視点で眺め返す絶好の機会になった。(編集者=東京都)
(2024年7月31日朝刊掲載)