被爆後の足取り 高校生とたどる 中区袋町で生き残った友田さん 各地で証言「戦争は二度と」
24年7月31日
爆心地から460メートルの袋町国民学校(現広島市中区の袋町小)で被爆した友田典弘さん(88)=大阪府門真市=が30日、広島市内で当時の足取りをたどり、同行した高校生に体験を証言した。原爆孤児となって一時は朝鮮半島に渡った経験を踏まえ「戦争は二度とあったらいかん」と訴えた。
広島学院高(西区)と松原高(大阪府松原市)の生徒計25人と大手町(現中区)にあった自宅跡から袋町小へ向かった。平和資料館となっている旧校舎の地下で被爆当時を思い返し「弟は(校庭で)真っ黒になって死んでいた」と時折、目に涙をためて伝えた。
被爆直後に逃げ込んだ防空壕(ごう)があった比治山(南区)にも足を運び、「水を飲んだら死ぬと言われて3日間、飲まず食わずだった」と思い起こした。広島学院高2年の貞本康一郎さん(16)は「戦争被害者の傷を癒やすのは難しい。だからこそ戦争が国際問題の解決手段になるのは良くない」と話した。
この日、友田さんと面会した広島大の鎌田七男名誉教授によると、広島原爆の爆心地から半径500メートル以内で被爆し1972年時点で生存していた78人のうち、今も健在なのは友田さんを含め2人という。(山下美波)
(2024年7月31日朝刊掲載)
広島学院高(西区)と松原高(大阪府松原市)の生徒計25人と大手町(現中区)にあった自宅跡から袋町小へ向かった。平和資料館となっている旧校舎の地下で被爆当時を思い返し「弟は(校庭で)真っ黒になって死んでいた」と時折、目に涙をためて伝えた。
被爆直後に逃げ込んだ防空壕(ごう)があった比治山(南区)にも足を運び、「水を飲んだら死ぬと言われて3日間、飲まず食わずだった」と思い起こした。広島学院高2年の貞本康一郎さん(16)は「戦争被害者の傷を癒やすのは難しい。だからこそ戦争が国際問題の解決手段になるのは良くない」と話した。
この日、友田さんと面会した広島大の鎌田七男名誉教授によると、広島原爆の爆心地から半径500メートル以内で被爆し1972年時点で生存していた78人のうち、今も健在なのは友田さんを含め2人という。(山下美波)
(2024年7月31日朝刊掲載)