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暮らしから集いの場へ 広島にスタジアムパーク開業 変わる基町

 エディオンピースウイング広島(広島市中区)を中心に広場や商業施設を備えたひろしまスタジアムパークが1日、全面開業する。立地する基町地区は軍用地だったが、被爆後の復興期には公営住宅が立ち並んだ広島の歴史を象徴するエリア。中央公園広場を経て、にぎわいを生む拠点に変貌を遂げた。(川上裕)

 広島発祥の「基(もとい)の地」を意味する広島城一帯の基町。明治以降、軍の部隊や施設が集まった。サッカースタジアム建設に伴う2020、21年の発掘調査では旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構が出土した。軍馬の厩舎(きゅうしゃ)などに使われた石畳の一部は城南通りを挟んだスタジアムの南側に展示される。

 爆心地から約1キロの一帯は原爆で壊滅。被爆後の住宅不足を受け、市などは公営住宅約1800戸を建てた。被爆した人や引き揚げ者が次々と住み始め、本川沿いは不法住宅も密集。「原爆スラム」と呼ばれるバラック街となった。

 高層アパートの建設が1969年に本格化し、約10年で完成。基町の「10軒長屋」に家族と暮らした中村和正さん(82)は今も基町中層アパートに住む。「きれいな公園になるのは結構だが、戦後の記憶まで消し去らないでほしい」と願う。

 住宅がなくなった後、8・4ヘクタールの広大な広場は市民の憩いの場となった。03年には全国から市民約6千人が集結。イラク攻撃に反対して「NO WAR(戦争) NO DU(劣化ウラン弾)!」の人文字をつくり、平和を訴えた。

 スタジアムパークを整備、運営する企業グループは緑豊かな「中央公園らしさの継承」と「新スタジアムとの調和」を掲げ、芝生広場を囲むように低層の商業棟を配置。水辺でのバーベキューなど四季を通じて楽しめる環境を用意する。サッカー観戦客だけでなく、平和記念公園(中区)を訪れた国内外の観光客を誘い、都心の回遊性を高める役割も期待されている。

(2024年8月1日朝刊掲載)

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