『生きて』 脚本家 池端俊策さん(1946年~) <3> 青春時代
24年8月1日
演劇や文学 のめり込む
≪小学5年生で半年間、入院した。退院後も寝たきりの生活が続く≫
テレビが普及し始めていて、ずっと家にいるのをかわいそうに思った親が買ってくれた。ある連続ドラマに祖父が熱中していたので見たけど、僕ははまらなかった。ユーモラスでヒューマンな内容。幸せな一家だんらんを見ると「うそでしょ。世の中、そんなに明るくねえよ」って思ってしまう。自らの心境に合わなかった。
NHKでやっていたフランスの映画特集に夢中になった。だいたい悲劇で終わる。胸を打たれたのは名匠ジュリアン・デュビビエ監督の「にんじん」。主人公の少年がかわいそうで、同情を誘う。真夏に蚊帳の網越しに見ながら声を出して泣いた。
父に薦められて夏目漱石の本もよく読んだ。樋口一葉、夏目漱石、仏映画…なんとも世界は憂鬱(ゆううつ)だね。
≪1年遅れで片山中に進む≫
父は秋田へ転勤になったが、体が弱かったのでついて行かなかった。両親はその後も(北海道の)小樽、徳山、高知などを転々としたが、僕は呉を離れなかった。
体調は回復し、中高時代は元気に過ごせた。勉強はどうも好きになれなかった。三津田高では、授業をサボって図書室に通った。そこで偶然、手に取ったのが映画の名作シナリオ集。せりふやト書きから登場人物の表情や情景が頭の中に広がっていく。映像が、緻密に組み立てられた言葉からできていることを知った。
≪高校演劇部では、広島県の演劇大会で演技賞を受賞≫
先生は「勉強しなくていいから東京に行って役者になれ」って。背中を押してもらえて、うれしかった。
自分の趣味の活動に目いっぱいの時間を費やすことができた。親について転校を繰り返していたら、そんな余裕はなかった。呉での青春時代がなかったら、今日の僕はなかった。
(2024年8月1日朝刊掲載)