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社説・コラム

『想』 河野(こうの)キヨ美(み) 希望を託す

 原爆ドームの東側に詩人で作家である原民喜の詩碑がひっそりと立っている。79年前、幟町(現広島市中区)の実家に帰省中、原爆に遭い、ほのおに追われ、縮景園から東照宮に逃れ、川岸のくぼみや崖下に野宿しながら、小さな手帳に逃げ惑う人々のひどいありさまを書き留める。「コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ」

 その後、病苦の中で「自分のために生きるな。死んだ人たちの嘆きのためだけに生きよ」(「鎮魂歌」)と、ノートの記録を基に小説「夏の花」を著し、多くの純粋で繊細な詩を遺(のこ)した。その繊細さ故だろうか。6年後に世を去った。

 私は原爆資料館で国内外の人々に被爆証言をしている。若葉の季節には、民喜の碑の傍らで彼が焦土となった古里の再生を願った詩「永遠のみどり」を口ずさむ。究極の核なき世界を描いた作品だと思うから。

 〈ヒロシマのデルタに/若葉うづまけ//死と焔(ほのお)の記憶に/よき祈りよ こもれ//とはのみどりを/とはのみどりを//ヒロシマのデルタに/青葉したたれ〉

 そしてこう語りかける。

 「原さん、いまヒロシマは緑豊かな平和都市に復興しました。爆心直下の中島地区も平和公園としてよみがえり、核兵器廃絶と平和への祈りを発信し続けています。被爆者や先人たちが長い年月かけて訴えてきたことがようやく世界に広がり、2021年には核兵器禁止条約が発効しました」

 しかしやっと希望が持てると思った直後、ロシアがウクライナに侵攻し戦争に。

 「原さん、私は大変なショックを受けましたが、被爆の恐怖を味わった人間には核の恐ろしさを世界中の人々に伝える義務があると信じ、訴え続けています。いつ終わるとも知れぬ戦火で家を破壊され子どもたちが泣き叫ぶテレビの映像を見て心が痛みます。でも人間は希望を失っては生きていけません。だから私は証言をする時、原さんの『永遠のみどり』を一緒に朗読します」。若い人たちに希望を託して…。(被爆体験証言者)

(2024年8月2日朝刊セレクト掲載)

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