日米カトリック界 核廃絶へ協調の輪 「原爆開発拠点」サンタフェの大司教 きょう広島で講演
24年8月5日
広島と長崎に投下された原爆の開発拠点がある米国のカトリック・サンタフェ大司教区のジョン・ウェスター大司教(73)が、昨年に続いて6日の原爆の日に合わせ広島市を訪問する。前日の5日、中区の世界平和記念聖堂で講演し、核兵器のない世界の実現に向けた協調を広く呼びかける。(山田祐)
核兵器を「全ての人間を消滅させる恐れのある究極的な悪」だと訴えるウェスター大司教。2022年1月には核兵器廃絶に向けての決意をつづった書簡を発表した。翌23年8月、多くの核弾頭が配備されている米シアトルの大司教とともに広島市と長崎市を訪れ、原爆の日の式典に参列している。
5日の講演では、23年の訪日時に広島、長崎、シアトルと計4教区で結んだ「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」への参画を、世界中の教区に呼びかける。
広島司教区の白浜満司教は「4教区とは別に、すでに参画を前向きに考えてくれている教区もある。輪を広げ、核兵器の愚かさを訴えていきたい」と話している。
めげずに声上げ続けなくては
「核抑止論」が依然として幅を利かせる国際社会だが、歯止めをかけ、転換を促す動きがカトリック界で芽生えている。核兵器の開発拠点がある教区のトップの来日に加え、今年3月には米国の信徒有志の巡礼団が広島市を訪れ、被爆者に自国による原爆投下を謝罪した。背景にあるものを、神父として長年平和運動に尽力してきた上智大神学部の光延一郎教授(68)に聞いた。
―米国のカトリック関係者の反核兵器の動きが続いています。
長い歴史の中で、カトリック教会は信仰生活を支える宣教面に重きを置き、社会に積極的に関わる動きに欠けた部分がありました。転換点は1962年に始まった第2バチカン公会議です。社会に開かれた教会として平和を追求する方向に切り替えよう、との呼びかけがありました。
2017年に国連で採択された核兵器禁止条約にはバチカンとしていち早く批准しました。教皇フランシスコが19年、広島で「核兵器を保有すること自体が倫理に反する」と明言したのも記憶に新しいです。サンタフェ大司教区などの動きも、この流れに呼応するものだと考えています。
そもそも核兵器の存在がキリスト教の教えに反することは明白で、米国のキリスト者たちも「教皇の言う通り核兵器は良くない」と理解しているはずです。
しかし、米国の大多数の人は「原爆投下によって100万人の命を救った」などといまだに信じています。原爆投下の責任について触れることは難しく、多くの聖職者が言葉を濁します。
そんな中で核兵器廃絶に向けてはっきりと声を上げ、具体的に行動に移しているのがサンタフェとシアトルの大司教です。米国に大勢いる聖職者たちのわずか2人で、まだまだ前途多難ですが、その勇気をたたえたいと思います。
―輪を広げていくために何が必要ですか。
キリスト教の考える平和とは、人々が交わり合って活動し交流する世界です。十字架とは、人々の敵意や対立を取り除くための神の慈しみを示したもの。二つに分かれたものを和解させる働きがあります。
一方、核抑止論とは、お互いの首にナイフを突き付け合って硬直しているような状態です。根本的な平和が生まれるわけがありません。
私自身、20代の頃、長束修練院(広島市安佐南区)で2年間過ごしました。自室から爆心地の方角を眺める日々でした。近くの墓地には昭和20(1945)年8月と刻まれた墓石が並んでいました。幼い子どもも多く含まれていました。何かを語りかけてくるように感じたものです。平和の実現に向けた活動の原点にあります。
核兵器廃絶の訴えは理想論と受け止められがちで、現実の政治の動きの中で波及させるのが難しいとも痛感しています。
忘れてはいけないのは、宗教とは全体主義的に皆が従うものではなく、それぞれが自分ごととして教えを受け取り、生活の中に還元していくものであること。長い道のりとなるのは分かっていますが、めげずに声を上げ続けなくてはいけません。
(2024年8月5日朝刊掲載)
核兵器を「全ての人間を消滅させる恐れのある究極的な悪」だと訴えるウェスター大司教。2022年1月には核兵器廃絶に向けての決意をつづった書簡を発表した。翌23年8月、多くの核弾頭が配備されている米シアトルの大司教とともに広島市と長崎市を訪れ、原爆の日の式典に参列している。
5日の講演では、23年の訪日時に広島、長崎、シアトルと計4教区で結んだ「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」への参画を、世界中の教区に呼びかける。
広島司教区の白浜満司教は「4教区とは別に、すでに参画を前向きに考えてくれている教区もある。輪を広げ、核兵器の愚かさを訴えていきたい」と話している。
上智大神学部の光延一郎教授に聞く
めげずに声上げ続けなくては
「核抑止論」が依然として幅を利かせる国際社会だが、歯止めをかけ、転換を促す動きがカトリック界で芽生えている。核兵器の開発拠点がある教区のトップの来日に加え、今年3月には米国の信徒有志の巡礼団が広島市を訪れ、被爆者に自国による原爆投下を謝罪した。背景にあるものを、神父として長年平和運動に尽力してきた上智大神学部の光延一郎教授(68)に聞いた。
―米国のカトリック関係者の反核兵器の動きが続いています。
長い歴史の中で、カトリック教会は信仰生活を支える宣教面に重きを置き、社会に積極的に関わる動きに欠けた部分がありました。転換点は1962年に始まった第2バチカン公会議です。社会に開かれた教会として平和を追求する方向に切り替えよう、との呼びかけがありました。
2017年に国連で採択された核兵器禁止条約にはバチカンとしていち早く批准しました。教皇フランシスコが19年、広島で「核兵器を保有すること自体が倫理に反する」と明言したのも記憶に新しいです。サンタフェ大司教区などの動きも、この流れに呼応するものだと考えています。
そもそも核兵器の存在がキリスト教の教えに反することは明白で、米国のキリスト者たちも「教皇の言う通り核兵器は良くない」と理解しているはずです。
しかし、米国の大多数の人は「原爆投下によって100万人の命を救った」などといまだに信じています。原爆投下の責任について触れることは難しく、多くの聖職者が言葉を濁します。
そんな中で核兵器廃絶に向けてはっきりと声を上げ、具体的に行動に移しているのがサンタフェとシアトルの大司教です。米国に大勢いる聖職者たちのわずか2人で、まだまだ前途多難ですが、その勇気をたたえたいと思います。
―輪を広げていくために何が必要ですか。
キリスト教の考える平和とは、人々が交わり合って活動し交流する世界です。十字架とは、人々の敵意や対立を取り除くための神の慈しみを示したもの。二つに分かれたものを和解させる働きがあります。
一方、核抑止論とは、お互いの首にナイフを突き付け合って硬直しているような状態です。根本的な平和が生まれるわけがありません。
私自身、20代の頃、長束修練院(広島市安佐南区)で2年間過ごしました。自室から爆心地の方角を眺める日々でした。近くの墓地には昭和20(1945)年8月と刻まれた墓石が並んでいました。幼い子どもも多く含まれていました。何かを語りかけてくるように感じたものです。平和の実現に向けた活動の原点にあります。
核兵器廃絶の訴えは理想論と受け止められがちで、現実の政治の動きの中で波及させるのが難しいとも痛感しています。
忘れてはいけないのは、宗教とは全体主義的に皆が従うものではなく、それぞれが自分ごととして教えを受け取り、生活の中に還元していくものであること。長い道のりとなるのは分かっていますが、めげずに声を上げ続けなくてはいけません。
(2024年8月5日朝刊掲載)