広島市8・6式典 都道府県遺族代表の思い <中> 被爆2世の役割 考えたい
24年8月4日
遠山章信(56)=山梨
伯父故選浩行、45年8月7日、12歳、被爆死
広島二中(現観音高)1年だった伯父は建物疎開に動員され中島新町(現中区)で被爆。祖母はつらさを抱え、原爆の話はせず、伯父の写真も飾らなかった。伯父の足取りは本の「いしぶみ」で読んだ。戦争で死ぬ人がいなくなるよう祈る。
白橋孝臣(77)=岐阜
叔父大地登、24年2月11日、100歳、老衰
広島文理科大(現広島大)の学生だった叔父は海軍に召集された。向洋(現南区)で被爆後、先生たちを捜して、市中心部を5日間歩いた。岐阜に戻ってからは、何を見たのかを話さなかったという。心の傷の深さを感じる。
四ツ谷惠(71)=静岡
父大山昭一、91年11月13日、64歳、胃がん
旧陸軍兵器学校広島分教所の工場実習で滋賀県にいたが、救助のため入市被爆した。故郷の埼玉に戻り、被爆を隠して結婚。白血球の値を気にしながら働き、退職後にがんが見つかった。頑張って生きた父のために、核兵器廃絶を訴えていく。
村井崇子(53)=愛知
父次郎垣内元彦、23年9月27日、79歳、肺炎
赤ちゃんだった父は、親戚を捜す祖母におぶわれて入市被爆した。当時の記憶はなくても、何かを伝えたかったのか、私は帰省のたびに平和記念公園へ連れて行かれた。式典参列は初めて。被爆2世の私に何ができるかを考えたい。
鈴木理恵子(61)=三重
父井上公治、96年7月11日、56歳、白血病
父は原爆投下後に疎開先から中島本町(現中区)の跡形もなくなった自宅に戻り、入市被爆した。14歳上の兄とバラックで暮らした。式典や父たちのことを毎年のように地元で児童に話す。被爆2世として、命と平和の大切さを伝えていく。
木村敏明(65)=滋賀
母美代乃、20年6月12日、88歳、老衰
広島女学院高女の生徒だった母は腹痛で休んでいた朝、牛田町(現東区)の自宅で被爆した。同級生の多くが亡くなり負い目があったのか、多くを語らず、「悲惨だった」とつぶやいていた。広島を訪れるのは約50年ぶり。平和が一番だ。
上田洋子(73)=京都
夫友一、23年8月15日、78歳、老衰
夫は生後4カ月で南観音町(現西区)の自宅で被爆。とっさに覆いかぶさった義母の背にはガラスの傷痕があった。隠したかったのか義父母とも原爆をあまり語らなかった。もっと聞いておけばよかった。家族を弔い、世界の平和を祈る。
三田征彦(79)=大阪
兄直彦、12年5月26日、82歳、白血病
崇徳中3年だった兄は小網町(現中区)に学徒動員されていた。横川の自宅にいた母は私を背負って捜しに行ったが見つからず、実家の上殿村(現広島県安芸太田町)に疎開した。兄もどうにかたどり着き、母の必死の看病で命をつないだ。
鶴嶋吉信(70)=兵庫
父富弥、05年9月2日、89歳、老衰
今の東区二葉の里にあった陸軍第二総軍司令部の獣医部で軍馬の世話をしていた父は奇跡的に建物の陰にいて助かった。「助けてください」と駆け寄る人たちに何もできず、最期まで悔やんでいた。被爆者を思って、娘や孫と広島を巡りたい。
大久保通(69)=和歌山
母ツヨコ、23年1月6日、96歳、狭心症
勤務先の南観音町(現西区)で被爆した母。亡くなった人を背負う人、水を求めてすがる人であふれていたといい、「地獄のような光景だった」と振り返っていた。多くの人生を狂わせる戦争は許せない。母の体験を自分事として理解したい。
≪記事の読み方≫遺族代表の名前と年齢=都道府県名。亡くなった被爆者の続柄と名前、死没年月日(西暦は下2桁)、死没時の年齢、死因。遺族のひと言。敬称略。
都道府県遺族代表全32人の思いを中国新聞デジタルで紹介しています
(2024年8月4日朝刊掲載)
伯父故選浩行、45年8月7日、12歳、被爆死
広島二中(現観音高)1年だった伯父は建物疎開に動員され中島新町(現中区)で被爆。祖母はつらさを抱え、原爆の話はせず、伯父の写真も飾らなかった。伯父の足取りは本の「いしぶみ」で読んだ。戦争で死ぬ人がいなくなるよう祈る。
白橋孝臣(77)=岐阜
叔父大地登、24年2月11日、100歳、老衰
広島文理科大(現広島大)の学生だった叔父は海軍に召集された。向洋(現南区)で被爆後、先生たちを捜して、市中心部を5日間歩いた。岐阜に戻ってからは、何を見たのかを話さなかったという。心の傷の深さを感じる。
四ツ谷惠(71)=静岡
父大山昭一、91年11月13日、64歳、胃がん
旧陸軍兵器学校広島分教所の工場実習で滋賀県にいたが、救助のため入市被爆した。故郷の埼玉に戻り、被爆を隠して結婚。白血球の値を気にしながら働き、退職後にがんが見つかった。頑張って生きた父のために、核兵器廃絶を訴えていく。
村井崇子(53)=愛知
父次郎垣内元彦、23年9月27日、79歳、肺炎
赤ちゃんだった父は、親戚を捜す祖母におぶわれて入市被爆した。当時の記憶はなくても、何かを伝えたかったのか、私は帰省のたびに平和記念公園へ連れて行かれた。式典参列は初めて。被爆2世の私に何ができるかを考えたい。
鈴木理恵子(61)=三重
父井上公治、96年7月11日、56歳、白血病
父は原爆投下後に疎開先から中島本町(現中区)の跡形もなくなった自宅に戻り、入市被爆した。14歳上の兄とバラックで暮らした。式典や父たちのことを毎年のように地元で児童に話す。被爆2世として、命と平和の大切さを伝えていく。
木村敏明(65)=滋賀
母美代乃、20年6月12日、88歳、老衰
広島女学院高女の生徒だった母は腹痛で休んでいた朝、牛田町(現東区)の自宅で被爆した。同級生の多くが亡くなり負い目があったのか、多くを語らず、「悲惨だった」とつぶやいていた。広島を訪れるのは約50年ぶり。平和が一番だ。
上田洋子(73)=京都
夫友一、23年8月15日、78歳、老衰
夫は生後4カ月で南観音町(現西区)の自宅で被爆。とっさに覆いかぶさった義母の背にはガラスの傷痕があった。隠したかったのか義父母とも原爆をあまり語らなかった。もっと聞いておけばよかった。家族を弔い、世界の平和を祈る。
三田征彦(79)=大阪
兄直彦、12年5月26日、82歳、白血病
崇徳中3年だった兄は小網町(現中区)に学徒動員されていた。横川の自宅にいた母は私を背負って捜しに行ったが見つからず、実家の上殿村(現広島県安芸太田町)に疎開した。兄もどうにかたどり着き、母の必死の看病で命をつないだ。
鶴嶋吉信(70)=兵庫
父富弥、05年9月2日、89歳、老衰
今の東区二葉の里にあった陸軍第二総軍司令部の獣医部で軍馬の世話をしていた父は奇跡的に建物の陰にいて助かった。「助けてください」と駆け寄る人たちに何もできず、最期まで悔やんでいた。被爆者を思って、娘や孫と広島を巡りたい。
大久保通(69)=和歌山
母ツヨコ、23年1月6日、96歳、狭心症
勤務先の南観音町(現西区)で被爆した母。亡くなった人を背負う人、水を求めてすがる人であふれていたといい、「地獄のような光景だった」と振り返っていた。多くの人生を狂わせる戦争は許せない。母の体験を自分事として理解したい。
≪記事の読み方≫遺族代表の名前と年齢=都道府県名。亡くなった被爆者の続柄と名前、死没年月日(西暦は下2桁)、死没時の年齢、死因。遺族のひと言。敬称略。
都道府県遺族代表全32人の思いを中国新聞デジタルで紹介しています
(2024年8月4日朝刊掲載)