空襲体験 古里で初証言へ 光海軍工廠で学徒動員 柳井の森重さん6日 「生き地獄」 平和願い決意
24年8月3日
太平洋戦争末期に光市の光海軍工廠(こうしょう)で学徒動員中、空襲に遭った柳井市山根の森重笑子さん(92)が6日、同市柳井のみどりが丘図書館である講演会で体験を話す。古里での証言は初めて。「生き地獄だった」と語る惨状を伝え、平和な世界を築くため決意した。(山本祐司)
柳井高等女学校(現柳井高)2年だった1945年8月14日の朝、いつも通り海軍工廠に着いた。午前中に警戒警報が発令され、1キロ近く離れた山のふもとのトンネルに避難した。警報が解除された後、突然、空襲が始まった。
昼食の時間帯で、近くの広場で10数人の女学生と弁当を広げていた。飛行機の音を聞いた森重さんが「B29じゃない?」と言った時だった。ドガーンと大地が割れるような音と揺れに襲われた。
弁当箱を放り、再びトンネルへ逃げた。友人と手を握り、肩を寄せ合って震えた。爆音とともに壁に亀裂が入るのを見て、生き埋めになるのではと怖かった。長時間身を潜めたように感じたが、実際は約1時間だったと後に知った。
音がやみ、はうようにして外へ出て驚いた。目の前一面が火の海だった。工場が燃える海軍工廠を見て、みんな泣いた。尊敬する将校が軍刀を振り回していた。帰宅の命令が出て一目散に光駅へ向かう途中、折り重なって川面に浮かぶ遺体、ばたりと倒れて息絶えた人、ぶら下がった片腕を抱えた人を見た。心配する余裕はなかった。
光駅は負傷者でごった返し「凄惨(せいさん)でした」と森重さん。汽車に乗り柳井駅へ戻ると、改札口で担任が待っていた。「よう生きて戻った」との言葉に何も言えないほど疲れていた。「うちの子を見んかったか」と必死に生徒を探す親や家族の脇をすり抜け、迎えにきた父と無言で帰宅した。
翌日、戦争の終結を告げる玉音放送を聞いた。もう1日早ければと、悔しかった。光市の空襲で柳井高女は12人が犠牲になり、うち6人は同学年だったという。
森重さんは戦後、小学校の教員を34年間務め、児童に平和の大切さを語った。自らの空襲体験を話したのは退職後、光市の小中学校4校で語った時だけ。古里で話す機会がなく、「最初で最後」の思いで証言する。
森重さんの体験は、戦時中に柳井市で暮らした児童文学作家いぬいとみこさんの著作「光の消えた日」に描かれた。森重さんは「いつまでたっても戦争が絶えない。核兵器のない、平和な暮らしができるよう念願します」と語る。
6日は午前10時から正午まで。他に被爆者たち3人が話す。無料。やない平和を語る会の久保優子代表☎090(1680)2753。
(2024年8月3日朝刊掲載)
柳井高等女学校(現柳井高)2年だった1945年8月14日の朝、いつも通り海軍工廠に着いた。午前中に警戒警報が発令され、1キロ近く離れた山のふもとのトンネルに避難した。警報が解除された後、突然、空襲が始まった。
昼食の時間帯で、近くの広場で10数人の女学生と弁当を広げていた。飛行機の音を聞いた森重さんが「B29じゃない?」と言った時だった。ドガーンと大地が割れるような音と揺れに襲われた。
弁当箱を放り、再びトンネルへ逃げた。友人と手を握り、肩を寄せ合って震えた。爆音とともに壁に亀裂が入るのを見て、生き埋めになるのではと怖かった。長時間身を潜めたように感じたが、実際は約1時間だったと後に知った。
音がやみ、はうようにして外へ出て驚いた。目の前一面が火の海だった。工場が燃える海軍工廠を見て、みんな泣いた。尊敬する将校が軍刀を振り回していた。帰宅の命令が出て一目散に光駅へ向かう途中、折り重なって川面に浮かぶ遺体、ばたりと倒れて息絶えた人、ぶら下がった片腕を抱えた人を見た。心配する余裕はなかった。
光駅は負傷者でごった返し「凄惨(せいさん)でした」と森重さん。汽車に乗り柳井駅へ戻ると、改札口で担任が待っていた。「よう生きて戻った」との言葉に何も言えないほど疲れていた。「うちの子を見んかったか」と必死に生徒を探す親や家族の脇をすり抜け、迎えにきた父と無言で帰宅した。
翌日、戦争の終結を告げる玉音放送を聞いた。もう1日早ければと、悔しかった。光市の空襲で柳井高女は12人が犠牲になり、うち6人は同学年だったという。
森重さんは戦後、小学校の教員を34年間務め、児童に平和の大切さを語った。自らの空襲体験を話したのは退職後、光市の小中学校4校で語った時だけ。古里で話す機会がなく、「最初で最後」の思いで証言する。
森重さんの体験は、戦時中に柳井市で暮らした児童文学作家いぬいとみこさんの著作「光の消えた日」に描かれた。森重さんは「いつまでたっても戦争が絶えない。核兵器のない、平和な暮らしができるよう念願します」と語る。
6日は午前10時から正午まで。他に被爆者たち3人が話す。無料。やない平和を語る会の久保優子代表☎090(1680)2753。
(2024年8月3日朝刊掲載)