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社説・コラム

天風録 『暁部隊の記憶』

 北海道に暮らす被爆者に手記を見せてもらったことがある。10代で志願した陸軍の船舶特別幹部候補生、つまり特攻兵として江田島の幸ノ浦で訓練した一人。あの日、広島に救援に向かった記憶を復員間もなく書き残した▲「マルレ」と呼ばれた水上特攻艇などで仲間と猛火の街へ。目にしたのは「屍(しかばね)の川」だった。救いを求める重傷者があふれ、視力を失った幼い少女に「水をください」と頼まれる。口に水筒を傾けると笑顔で力尽きた▲少年兵たちを含む広島湾一帯の通称「暁部隊」は救護の先頭に立つ。そして忘れ得ない記憶を背に、復員した古里で被爆者援護の団体を担う人々もいた。北海道被爆者協会はその一つだ▲原爆資料を展示する「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」を守ってきたが、来春で解散が決まった。全国の団体は多くが担い手の高齢化で危機にある。この会館は札幌の学校法人に譲り、存続するのがせめてもの救い▲国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が暁部隊の企画展を開いている。列島各地で生きた元少年兵の証言を映像化し、マルレの実物大の復元も置く。核には核―。あしき流れが再び強まる今、彼らの地獄絵図の記憶を分かち合いたい。

(2024年8月3日朝刊掲載)

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