父の水筒「体験つなぐ」 富山県遺族代表の豊本さん 平和祈念館で対面
24年8月6日
原爆投下直後の広島で小島六雄さん(2023年に100歳で死去)が救護活動に使った水筒が広島市中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に展示されている。富山県遺族代表として6日の平和記念式典に参列する長女の豊本満里子さん(70)=射水市=が5日見学し、「父の体験や思いをつないでいきたい」と思いを新たにした。
陸軍船舶司令部(通称暁部隊)の特攻兵育成の秘密部隊に所属していた小島さんは1945年8月6日、駐屯していた幸ノ浦(江田島市)から広島市に救援に入った。重傷の男性から水を求められたが、自分の水筒にやけどでただれた男性の唇が触れるのを汚いと感じ、とっさに口から離して注いだという。
手記に「我が心の浅ましさ、後悔の第一号だった」「広島を訪れては、まず供養塔に額づき、水、水を耳に戻し、種々詫(わ)びながら合掌している」と書き残す。証言では必ず水筒を見せたという。
豊本さんの弟が今年3月から来年2月までの企画展に水筒を提供。豊本さんは「父はずっと申し訳なかったと話していた。多くの人の目に触れ、供養になれば」と声を震わせた。1歳から中学1年生までの孫3人に父の体験を伝えていくつもりだ。(山下美波)
(2024年8月6日朝刊掲載)
陸軍船舶司令部(通称暁部隊)の特攻兵育成の秘密部隊に所属していた小島さんは1945年8月6日、駐屯していた幸ノ浦(江田島市)から広島市に救援に入った。重傷の男性から水を求められたが、自分の水筒にやけどでただれた男性の唇が触れるのを汚いと感じ、とっさに口から離して注いだという。
手記に「我が心の浅ましさ、後悔の第一号だった」「広島を訪れては、まず供養塔に額づき、水、水を耳に戻し、種々詫(わ)びながら合掌している」と書き残す。証言では必ず水筒を見せたという。
豊本さんの弟が今年3月から来年2月までの企画展に水筒を提供。豊本さんは「父はずっと申し訳なかったと話していた。多くの人の目に触れ、供養になれば」と声を震わせた。1歳から中学1年生までの孫3人に父の体験を伝えていくつもりだ。(山下美波)
(2024年8月6日朝刊掲載)