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社説・コラム

天風録 『原爆を詠む』

 あの朝はセミがうるさいほど鳴いていた。そう口にした被爆者は少なくない。心の痛みがよみがえる記憶だろう。この句も同じだったか。〈蝉(せみ)鳴くな正信ちゃんを思い出す〉。戦後10年に出た「句集広島」で特に目を引く▲夫と4児を原爆で失い、古里熊本に帰った行徳すみ子さんが「長女功子遺作」として句集に寄せた。10歳だった娘は犠牲となった弟をしのぶ句を残し、すぐに亡くなったらしい。母自らも胸を打つ句を詠んだ。〈春泥に馳(は)せくる子あり亡き子かと〉▲脳裏に残る悔恨の思いを17文字、31文字に刻んできた人たち。広島の被爆者、切明千枝子さんもその一人だ。原爆の日のきょう94歳にして初の歌集を出す▲<この手にて亡骸(なきがら)荼毘(だび)に付せし日よキャンパスに戻り息絶えし友の〉。母校の女学校で命を落とした級友たちの光景だ。〈「かあちゃんを探して」と私のモンペの裾掴(つか)みたる子今も離さぬ〉。叔父の安否を求めた病院で会った少女はずっと頭の中に▲証言活動で交流する大学院生の佐藤優さんが編者として歌集刊行を担った。そこに継承へのヒントがあろう。時代は変われど「句集広島」編者の言葉とも相通じる。あの日を永遠にとどめよう、と。

(2024年8月6日朝刊掲載)

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