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願い 切々と 79年前に広島で起こったこと伝えていく 8・6ドキュメント

SNSで写真投稿/被爆ピアノに希望

英語で紙芝居上演/互いが歩み寄れる機会に

 0・00 東広島市の山村貴子さん(64)が原爆慰霊碑に花を供えた。祖父が広島市中区で被爆し数日後に死亡。祖父を看病した被爆者の母澄子さんも昨年94歳で亡くなった。「頑張ってるよ。見守っていてね」と声をかけた。

 1・15 旅行で広島市を訪れた大阪府吹田市のアルバイト吉岡直樹さん(35)が原爆慰霊碑に立ち寄った。20代の時に仕事の都合で広島市に住み、久しぶりの平和記念公園。「広島を離れると8月6日が特別な日だと知らない人も多い。同世代にも平和の尊さを考えてもらいたい」と交流サイト(SNS)で写真を投稿した。

 2・40 原爆ドーム前を大汗を散らしながら安佐北区の会社員黒柳渉さん(44)が駆け抜けた。自宅周辺で10キロ走るのが日課だが、6日は往復16キロの平和記念公園を訪れるという。「世界では戦争が続いている。平和のありがたみをかみしめながら走ってきた」

 3・15 西区の中原里枝さん(80)が涙ながらに原爆慰霊碑に手を合わせた。1歳の時に爆心地から約2キロの猿猴橋町の自宅で被爆。5年前に78歳で亡くなった兄敬司さんは晩年、がんを患った。「広島から核の恐怖を発信することが大切。亡くなられた人の思いを無駄にしてはいけない」と力を込めた。

 5・00 原爆ドーム北側で公園外への移動要請開始。

 6・00 安佐南区の主婦段上栄子さん(79)が原爆慰霊碑の参拝を終え帰路へ。「警備が厳重でびっくり。デモなど治安が悪いのは分かるが物々しい。これが平和を祈る式典なのかと違和感を覚える」

 7・10 県被団協の箕牧(みまき)智之理事長が、8月中旬から米ハワイ州に行く県内の若者に銅製の折り鶴や原爆の被害をまとめた資料などを手渡した。平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定に基づき市が派遣。広島叡智(えいち)学園高3年岡田彩花さん(18)は「被爆の実態を伝え、日本がパールハーバーで何をしたかも学び、お互いが歩み寄れる機会にしたい」と意気込んだ。

 7・40 原爆の子の像のそばのベンチで、花店経営大西美穂さん(47)=南区=が「花を挿していきませんか」と呼びかける。直径1メートルの円形の台紙に、カスミソウやスターチスなど小さな花を挿して花輪を作るプロジェクト。「こんなかわいい平和活動なら親しみやすいと思って」と道行く人を引きつける。

 8・00 平和記念式典が始まった。参加国は109か国で過去2番目。参列者数は約5万人。

 8・15 祇園北高3年の藤村拓摩さん(18)=安佐南区=は広島国際会議場の北側でボーイスカウト仲間と黙とう。「原爆が落ちた時は熱かったろうな、まぶしくて目が痛かったろうなと考えた」

 9・20 府中町の安芸府中高、府中中、府中緑ケ丘中の3校の生徒が原爆の子の像付近で佐々木禎子さんの生涯を描いた紙芝居を上演。英語版を披露した安芸府中高1年の山本千笑さん(15)は「外国の人にも禎子さんの事を伝えられてうれしい」と話した。

 10・45 爆心地・島病院(現島内科医院)の石碑を眺めていたポーランド人のハーニャ・ドゥデクさん(28)。8月6日の広島を訪れる念願を家族4人でかなえた。「ポーランドは何度も他国に攻められ、戦争の悲惨さを知るという意味では日本と同じ。79年前も猛烈に暑くてセミが鳴く日本らしい日だったのだろうか。想像すると胸が痛い」

 11・40 平和記念公園東側で「アオギリ平和コンサート」が開かれていた。被爆ピアノの音色に合わせて合唱団のメンバーが歌声を響かせた。ピアノを弾いた広島国際大3年川堀真由さん(21)=廿日市市=は「緊張感と高揚感でいっぱい」。演奏を聴いた南区の会社員南家孝之さん(59)は「原爆は何もかもは焼き尽くせなかった。被爆ピアノからはそういう希望を感じる」とほほ笑んだ。

 12・20 英国出身のベン・ルークさん(21)は、九州大への留学を終えて帰国前に2度目の広島訪問。原爆資料館では熱で溶けたガラス瓶を見て「こんなにも熱い環境に人がいたなんて恐ろしい」と改めて実感。広島に来たことで核兵器反対の立場になったという。

 13・10 市立広島商業高の慰霊碑を写真に収めていたのは、東京から来た住田治人さん(61)。出版労連役員として原爆や平和について伝え続けてきたが、今の広島の姿を残そうと平和記念公園周辺のさまざまな慰霊碑の写真を撮り歩く。「伝える仕事に従事する若者に、言論の自由を守るためにも被爆の実態を知ってほしい」と汗を拭った。

 14・15 庄原市の水野明美さん(64)は、原爆供養塔に花を手向けて深々とお辞儀。祖父は遺骨が見つかっておらず、竹屋国民学校で被爆した父は背中にガラスの破片が刺さっていた。平和について考えなければと3年ほど前から広島市に寄るたびに花を供える。「広島や長崎のような悲惨な経験を繰り返さないで」。庄原でも継承グループの立ち上げに動く。

 14・30 広島国際会議場で舟入高演劇部による平和劇が始まった。脚本から部員たちで制作。3年寅田悠月部長(18)=安佐南区=は「戦争はそれぞれの正義がぶつかることで起きているのだと思う。互いが理解し合うことが平和へのヒントだと改めて感じてほしい」と思いを語った。

 15・00 原爆慰霊碑近くの広場で軽快な太鼓の音が聞こえてきた。メキシコのケッサルトナリというグループが輪になって踊る。健康や幸せを願って世界中を巡り、この日は悲劇が2度と起きないようにと広島を訪問。ナジェリ・ガートナー・サンティアゴさん(28)は「子どもの頃から広島のことは学んでいたが、実際に来ると寂しく複雑な気持ちになった」と打ち明けた。

 15・19 広島市中区で最高気温35・6度を記録し、猛暑日となる。

 16・20 新サッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」(中区)にあるキャプテン翼の壁画前で立ち止まっていたのは、広島市東区の会社員小原正樹さん(30)。家族4人で初めて訪れた。この世界から戦争をなくしたいと語る翼の絵を見て「3歳の長男と1歳の長女に79年前に広島で起こったことを伝えていく」と心に決めた。

 17・20 原爆の子の像前で、外国人観光客と歌う小学生の姿が。福山市の御幸小4年藤本大和さん(9)と海田町の海田南小5年平田彩莉(あやり)さん(10)がキッズボランティアとして英語で平和記念公園をガイド。「歌で心を一つにしたい」と声を弾ませた。

 18・30 「平和でありますように」「戦争がなくなりますように」―。色とりどりの灯籠が元安川に浮かぶ。中区の主婦藤田愛由美さん(43)は娘の華瑠(はる)さん(6)と流した。「5年前に東京から広島に来て原爆について触れる機会が増えた。戦争の過去を広島に住むものとして子どもにもしっかり伝えたい」。灯籠には「PEACE」としたためた。

(2024年8月7日朝刊掲載)

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