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「戦争反対」「記憶継承」誓う 笠岡で原爆死没者鎮魂・平和祈念式典 亡き父の被爆体験 思いはせ

 米軍が広島に原爆を投下して79年になる6日、笠岡市中央公民館で死没者の鎮魂と、平和を祈念する式典が開かれた。官民による市非核平和都市宣言啓発実行委員会と市が主催し、約40人が出席した。被爆者が年々少なくなる中、記憶を継承する大切さを再認識した。(谷本和久)

 この1年間に亡くなった市内の被爆者2人の名前が読み上げられ、栗尾典子市長は「79年前の惨劇で瞬時に多くの命が奪われた。二度と同じ過ちを繰り返さないため、日常生活の中で、平和に向けた行動の実践を誓いたい」と訴えた。

 正面舞台のスクリーンに広島市の式典が映される中、原爆投下の午前8時15分に全員が黙とう。祭壇に折り鶴がささげられ、参列者が1人ずつ白菊を手向けた。

 市によると、2000年に約120人いた市内の被爆者は現在22人で、平均年齢は約87歳。同実行委員長で市原爆被爆者会の上小城昌昭会長(84)=城見台=は「被爆者は高齢になり、体力も落ちたが、戦争反対の声は上げ続けなければいけない」と強調した。

 被爆者の父・森寿久夫さんを5月に99歳で亡くした長女優子さん(71)=走出=は初めて式典に出席。父は6日に岡山から広島へ救援に行って被爆した。生前に当時の話はしなかったが、1度だけ「川の中から助けを求めるセーラー服の女学生を助けてほとりに寝かせ、戻ると亡くなっていた」と話したという。

 優子さんは「父は嫌な記憶は思い出したくなかったのではないか。亡くなったが、娘としてできることをしたい」と話した。

(2024年8月7日朝刊掲載)

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