平和への誓い 島根から 広島原爆の日 江津・松江 追悼の集いや慰霊祭
24年8月7日
広島原爆の日の6日、島根県内では江津、松江市内などで慰霊祭や平和を考える集いがあった。79年前の「あの日」に思いをはせ、原爆犠牲者を追悼するとともに、世界各地で続く紛争の終結などを願った。(黒田健太郎、上田光)
江津市有福温泉町では湯町自治会が、原爆で亡くなった人々を追悼する集いを開いた。住民たち21人が参加。かつて町内にあった被爆者療養研究所を思い起こし、午前8時15分に黙とう。花を手向けるなどした。
会場の交流施設「湯町サロン」には療養研究所で続いていた追悼式の写真や地元児童たちが作った千羽鶴、基町高(広島市中区)の生徒が被爆証言を基に描いた絵のパネルなどを15日まで展示。町内の川波小6年大西碧音(あおと)さん(12)は「原爆で起きたことを語り継ぐため、しっかり学んでいきたい」と思いを新たにしていた。
松江市では、学園南の北公園にある原爆慰霊碑前で県原爆被爆者協議会による慰霊祭があった。
被爆者や被爆2世たち約20人が参列。広島市の平和記念式典のラジオ放送を聞き、午前8時15分に黙とう。同協議会の本間恵美子会長(74)は参列者を前に「世界情勢は困難を極めているが、島根から平和を訴えていきたい」とあいさつした。
慰霊碑前で手を合わせた角エミコさん(91)=松江市雑賀町=は、小学6年生の時に、通っていた己斐国民学校(現己斐小)で被爆。行方が分からなくなったおじを捜した爆心地での光景を「目も開けられないくらい怖かった」と振り返った。
県内の被爆者は3月末時点で476人、平均年齢は90歳を超える。角さんは「体験を語り継いでいき、若い人に戦争の怖さを真剣に考えてほしい」と話していた。
浜田市では、県退職公務員連盟浜田支部が折り鶴2750羽を作り、15日まで市役所ロビーで開かれている平和パネル展に合わせて飾った。11月に広島市へ贈る。
(2024年8月7日朝刊掲載)
江津市有福温泉町では湯町自治会が、原爆で亡くなった人々を追悼する集いを開いた。住民たち21人が参加。かつて町内にあった被爆者療養研究所を思い起こし、午前8時15分に黙とう。花を手向けるなどした。
会場の交流施設「湯町サロン」には療養研究所で続いていた追悼式の写真や地元児童たちが作った千羽鶴、基町高(広島市中区)の生徒が被爆証言を基に描いた絵のパネルなどを15日まで展示。町内の川波小6年大西碧音(あおと)さん(12)は「原爆で起きたことを語り継ぐため、しっかり学んでいきたい」と思いを新たにしていた。
松江市では、学園南の北公園にある原爆慰霊碑前で県原爆被爆者協議会による慰霊祭があった。
被爆者や被爆2世たち約20人が参列。広島市の平和記念式典のラジオ放送を聞き、午前8時15分に黙とう。同協議会の本間恵美子会長(74)は参列者を前に「世界情勢は困難を極めているが、島根から平和を訴えていきたい」とあいさつした。
慰霊碑前で手を合わせた角エミコさん(91)=松江市雑賀町=は、小学6年生の時に、通っていた己斐国民学校(現己斐小)で被爆。行方が分からなくなったおじを捜した爆心地での光景を「目も開けられないくらい怖かった」と振り返った。
県内の被爆者は3月末時点で476人、平均年齢は90歳を超える。角さんは「体験を語り継いでいき、若い人に戦争の怖さを真剣に考えてほしい」と話していた。
浜田市では、県退職公務員連盟浜田支部が折り鶴2750羽を作り、15日まで市役所ロビーで開かれている平和パネル展に合わせて飾った。11月に広島市へ贈る。
(2024年8月7日朝刊掲載)