県北から「平和の一歩を」 各地で原爆・戦争犠牲者悼む
24年8月7日
広島原爆の日の6日、県北各地で追悼行事が営まれた。原爆・戦争犠牲者に思いをはせ、核兵器廃絶や世界平和の実現を胸に刻んだ。
三次市高杉町では、神杉地区自治会連合会が慰霊のつどいを開いた。神杉コミュニティセンターそばの慰霊碑前で遺族や児童、園児約50人が折り鶴や菊を碑に手向けた。
原爆で父を亡くした地区遺族会の小田義則会長(81)は「武力による平和はありません」。神杉小6年平田陽唯(はれい)さん(12)は「互いの良さを知り、認めることが平和の一歩」と誓った。
同市三良坂町の三良坂平和を願う会は、三良坂平和公園の「母と子―わたす像」前に献花台を設置。三良坂中の全校生徒や市民約90人が白や黄の菊100本や千羽鶴をささげ、原爆や戦争犠牲者を悼んだ。式後、生徒たちは三良坂コミュニティセンターへ。被爆体験伝承者の高雄勝彦さん(63)=広島市佐伯区=の語りに聞き入った。
伝承者の講話は三次市十日市南の十日市きんさいセンターでも。生まれてすぐに被爆した高田直久さん(79)=広島市中区=が、十日市自治連合会の講座に集った約70人を前に、受け継ぐ被爆者2人の体験などを話した。
原爆投下後に広島陸軍病院庄原分院の臨時病棟が置かれた庄原市山内町では、山内地区社会福祉協議会が原爆犠牲者慰霊祭を開催。病棟となった山内西国民学校(現山内小)近くの慰霊碑前で遺族や住民約60人が、広島から運ばれて亡くなった88人を悼んだ。
境港市の手島豊美さん(62)は祖父安次勝敏さんを失い「79年たっても慰霊を続けてくれてありがたい」と話した。庄原市では、市仏教会が原爆犠牲軍人の碑がある東本町の宝蔵寺で追悼法要を営んだ。(林淳一郎、戸田剛就、菊池諒)
(2024年8月7日朝刊掲載)
三次市高杉町では、神杉地区自治会連合会が慰霊のつどいを開いた。神杉コミュニティセンターそばの慰霊碑前で遺族や児童、園児約50人が折り鶴や菊を碑に手向けた。
原爆で父を亡くした地区遺族会の小田義則会長(81)は「武力による平和はありません」。神杉小6年平田陽唯(はれい)さん(12)は「互いの良さを知り、認めることが平和の一歩」と誓った。
同市三良坂町の三良坂平和を願う会は、三良坂平和公園の「母と子―わたす像」前に献花台を設置。三良坂中の全校生徒や市民約90人が白や黄の菊100本や千羽鶴をささげ、原爆や戦争犠牲者を悼んだ。式後、生徒たちは三良坂コミュニティセンターへ。被爆体験伝承者の高雄勝彦さん(63)=広島市佐伯区=の語りに聞き入った。
伝承者の講話は三次市十日市南の十日市きんさいセンターでも。生まれてすぐに被爆した高田直久さん(79)=広島市中区=が、十日市自治連合会の講座に集った約70人を前に、受け継ぐ被爆者2人の体験などを話した。
原爆投下後に広島陸軍病院庄原分院の臨時病棟が置かれた庄原市山内町では、山内地区社会福祉協議会が原爆犠牲者慰霊祭を開催。病棟となった山内西国民学校(現山内小)近くの慰霊碑前で遺族や住民約60人が、広島から運ばれて亡くなった88人を悼んだ。
境港市の手島豊美さん(62)は祖父安次勝敏さんを失い「79年たっても慰霊を続けてくれてありがたい」と話した。庄原市では、市仏教会が原爆犠牲軍人の碑がある東本町の宝蔵寺で追悼法要を営んだ。(林淳一郎、戸田剛就、菊池諒)
(2024年8月7日朝刊掲載)