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継承 着々と 死没者名簿に生徒の名 「胸をえぐられるようだった」

教え子失った母の無念伝える

広島大付属福山高の平賀教諭

 原爆投下から79年となった6日、被爆地は犠牲者を悼み、核兵器廃絶を願う市民の祈りに包まれた。広島市内や周辺では慰霊祭や集いが営まれ、次代を担う若者たちは被爆者の記憶の継承に向け、思いを新たにした。

 広島市中区国泰寺町であった広島女子高等師範学校付属山中高等女学校(山中高女)などの合同慰霊祭には、同校の流れをくむ広島大付属福山高(福山市)の教諭、平賀博之さん(63)の姿があった。山中高女教諭だった母栄枝(さかえ)さん=昨年11月に101歳で死去=の遺影を携えて参列し、同席した生徒たちに、多くの教え子を失った母の無念を語り継いだ。

 栄枝さんは昨年の慰霊祭には参列したが、3カ月後に帰らぬ人となった。平賀さんはこの日の慰霊祭に、付属福山高の生徒3人とともに参列。式典後、栄枝さんが追悼記に残した手記「忘れ得ぬ日々」を紹介した。生徒の安否確認に追われ、死没者名簿に名前を見つけたときは「胸をえぐられるようだった」などと話していた栄枝さんの証言を思い起こし、生徒に語りかけた。

 同高学友会の会長を務める2年奥山竜太朗さん(16)は「生徒一人一人の人生を自分に重ねて考えた。さまざまな人と手を取り合い、平和を構築する方法を自分なりに模索したい」と話した。

 手記は「なぜもっと前に書き留めなかったかと悔やむこの頃です」と始まる。母の後悔と平和への願い…。平賀さんは「私が代わりに伝えていく」と言葉を紡いだ。(平田智士)

兄の遺影携え 式典に初参列

大阪府の遺族代表 被爆者の三田さん

 大阪府の遺族代表で被爆者の三田征彦(ゆきひこ)さん(79)=大阪市=は、平和記念式典に初めて参列した。学徒動員中に被爆した兄直彦さん(2012年に82歳で死去)の遺影を携え、多くを語らなかった79年前の惨状に思いをはせた。

 当時、生後10日だった三田さんは母ムラさんと横川町(現西区)の自宅で被爆した。ムラさんは三田さんを背負い、爆心地から約800メートルの小網町(現中区)で建物疎開に動員されていた旧制崇徳中3年の直彦さんを捜し歩いた。郊外で再会したとき、直彦さんは命の危険がある状態だった。

 「崇徳学園百二十年史」によると、小網町一帯には生徒約100人が動員され、55人が犠牲になった。やがて体調が回復した直彦さんは広島市職員となり、管理課長などを務めた。生まれる前に父を亡くした三田さんにとっては、父親のような存在だった。ただ、生き残った負い目からか、被爆当時の話をすることはほとんどなかったという。

 直彦さんは最期まで血液系の病気に苦しみ、三田さんも2年前にがんを患った。「被爆者は生き残っても病に悩まされ続ける。非人道的な核兵器を早期に廃絶してほしい」。願いを込め、慰霊碑に手を合わせた。(山下美波)

(2024年8月7日朝刊掲載)

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