『想』 金秀光(キムスガン) 韓国の被爆者と共に
24年8月7日
私は広島生まれの在日朝鮮人被爆2世です。子どもの頃は「原爆スラム」と呼ばれた町に住んでいました。ここで「コヒャン(故郷)に帰りたい」と言って亡くなった朝鮮人被爆者の言葉が今でも心に残っています。私のアボジ(父)もその一人でした。身近に被爆者が多く、差別と貧困の中で生きる姿を見て育ちました。
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私は50年余り前から、依頼を受け、広島市内で被爆者たちにアコーディオンの演奏をしてきました。渡日治療で来日した韓国人被爆者を河村病院(中区)に訪ねたこともあります。
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2009年10月からは春と秋の年2回、韓国の陜川(ハプチョン)原爆被害者福祉会館を訪ね、入所者を前に演奏し、歌ってもらっています。ここには広島、長崎で被爆し、命からがら韓国に帰った人々が入所しています。
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私の訪問の目的は被爆者の「笑顔」です。訪問にあたっては、韓国のお年寄りになじみのある歌を時間をかけて準備しました。また行くたびに韓国の歌を教えてもらい楽譜も送ってもらいました。童謡や民謡、歌謡曲に加え、古い日本の歌をリクエストされることもあります。フロアでは被爆者が「ワッソ!(来たか)」と拍手と笑顔で迎えてくれます。私が演奏すると踊り出し、楽しい時間を共にします。
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こうした学びと経験を踏まえ13年には、日本音楽療法学会で「韓国の原爆被爆者に対する音楽療法」と題し発表しました。
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いつも会館に到着するとまず慰霊閣にお参りしますが、新型コロナウイルス禍で3年行けなかった間に位牌(いはい)が増えていて、とてもつらい思いをしました。演奏に合わせて踊ることのできる被爆者は少なくなり高齢化を実感しました。
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今、私の部屋にはお年寄りが描いてくれた演奏風景の絵が飾ってあります。見るたび元気が出ます。会館の館長やスタッフ、被爆者の皆さん、演奏活動をサポートしてくれる方々から、私は「生きる力」をいただいています。皆さんに、心より「カムサハムニダ(感謝します)」。(アコーディオン奏者、日本音楽療法学会認定音楽療法士)
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(2024年8月7日朝刊セレクト掲載)