「宇部空襲写真」は浜松 市「可能性高い」 経緯は判明せず
24年8月9日
宇部市が1945年の宇部大空襲で焼け野原となった市街地として小学生向け副読本などで紹介してきた写真の真偽を巡る問題で、同市は、市内ではなく浜松市で撮影された可能性が高いとの結論を出した。両市の空襲後とされる写真が酷似していると指摘を受けて調べていた。宇部の写真として扱った経緯は判明しなかったとしている。(野崎建一郎)
宇部市によると、黒く焼けた樹木や壊れた建物を写した一枚で、浜松市の写真の一部を白く塗りつぶす修整をしたとみられるという。小学生向けの社会科副読本に1968年発行版から掲載してきたが、来年度以降は使用をやめることを決めている。93年発行の市史にも載せており、訂正シールを貼るなどして対応する方針。
宇部市教委は「浜松市に問い合わせをしたところ、写真の原本が残っており、撮影した場所や提供者まで特定されていたのでそちらがオリジナルだと判断した。ただ、どれだけ調べても、誰がどんな理由で修整写真を作って使ったのかは分からなかった」と説明している。
(2024年8月9日朝刊掲載)
宇部市によると、黒く焼けた樹木や壊れた建物を写した一枚で、浜松市の写真の一部を白く塗りつぶす修整をしたとみられるという。小学生向けの社会科副読本に1968年発行版から掲載してきたが、来年度以降は使用をやめることを決めている。93年発行の市史にも載せており、訂正シールを貼るなどして対応する方針。
宇部市教委は「浜松市に問い合わせをしたところ、写真の原本が残っており、撮影した場所や提供者まで特定されていたのでそちらがオリジナルだと判断した。ただ、どれだけ調べても、誰がどんな理由で修整写真を作って使ったのかは分からなかった」と説明している。
(2024年8月9日朝刊掲載)