「回天」の島 平和願い鐘 周南の集いに80人
24年8月16日
終戦の日の15日、旧日本軍の特攻兵器「回天」の訓練基地跡が残る山口県周南市大津島で、平和を願って鐘を鳴らす集いがあった。市連合遺族会員や中高生たち約80人が回天記念館の前庭で、戦没者に思いを寄せて鐘を突いた。徳山ユネスコ協会(師井弘会長)の主催。
前庭にある「平和祈念の鐘」は、1943年に周防大島町沖で爆沈した戦艦陸奥の大砲の薬きょうが鋳込まれている。参加者は「戦争をなくそう」などと決意を述べて音を響かせた。
回天は、実戦への最初の投入となる「菊水隊」が大津島の基地から44年11月に出撃した。訓練を受けた搭乗員1375人のうち106人が戦死。整備員を含めた死者は145人に上る。搭乗員の多くは20歳前後の若者だった。
初めて参加した同市の桜ケ丘高2年大原菜々さん(17)は「私と同世代が命を懸けて戦ったことに衝撃を受ける。不幸しか生まない戦争を繰り返してはいけない」と誓っていた。(井上龍太郎)
(2024年8月16日朝刊掲載)
前庭にある「平和祈念の鐘」は、1943年に周防大島町沖で爆沈した戦艦陸奥の大砲の薬きょうが鋳込まれている。参加者は「戦争をなくそう」などと決意を述べて音を響かせた。
回天は、実戦への最初の投入となる「菊水隊」が大津島の基地から44年11月に出撃した。訓練を受けた搭乗員1375人のうち106人が戦死。整備員を含めた死者は145人に上る。搭乗員の多くは20歳前後の若者だった。
初めて参加した同市の桜ケ丘高2年大原菜々さん(17)は「私と同世代が命を懸けて戦ったことに衝撃を受ける。不幸しか生まない戦争を繰り返してはいけない」と誓っていた。(井上龍太郎)
(2024年8月16日朝刊掲載)