『生きて』 脚本家 池端俊策さん(1946年~) <8> 地元を舞台に
24年8月16日
少年時代の思い出投影
脚本家になったときから呉を書きたいなと思っていた。青春時代を送ったわけだから。高校の教室の窓から、山のように大きなタンカーが港を出ていくのを眺めていたのが印象深い。戦艦大和を造った街が、戦後は造船業で復興を果たしていく。だから呉は日本がよく見える街、象徴的で分かりやすい街と言うのかな。
≪初めて呉を舞台にしたドラマ「約束の旅」(1987年)を書く。呉から東京へ引っ越すことになった家族の物語。家出した子どもを捜して両親たちが旅する中で、ばらばらだった一家が一時的に崩壊の危機を免れる―との内容だ≫
昭和30年代の呉が登場する。日本は高度成長を果たすけれども、家族の結びつきが崩れつつあるという危機感が僕の中にあった。「どう生きるか」を考えないといけないが「とりあえず金を稼ごうや」という時代になってしまったのではないか。そういう感覚があった。
そこに自身の少年時代の思い出を投影している。実際に弟が家出して、大騒ぎしたことがあった。母や祖父が捜しに出かけて(長野県の)松本で見つけたのかな。この家出事件を軸にして書いてみようと思った。
≪プラハ国際テレビ祭で最優秀脚本賞を受賞する≫
演出家の腕も素晴らしくて、お気に入りの作品。これを書くために、やってきたんだという気がしたくらい。いまの自分が全部この中に入っているという実感があった。
≪「並木家の人々」(93年)でも呉や江田島を舞台にした≫
大滝秀治さんが、いい味を出してくれた。沈没船を引き揚げるため全財産を投じる男の役。高校の演劇部仲間の家が船の引き揚げの仕事をしていて、そこから着想を得た。地元の人にはロケで、たくさん協力してもらった。連続ドラマの放送を楽しみにしてくれ、視聴率も良かった。この時ほど地元から喜ばれたことはなかったね。
(2024年8月10日朝刊掲載)