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幸福学から目指す平和 武蔵野大学長・庄原の金秀寺住職 西本照真さん

争い合う愚かさ その苦悩と向き合う

生きとし生けるもの 学生と見つめる

 すべての人が幸せに暮らせる社会を目指す「幸福学」の観点から、平和の大切さを説き続けている僧侶がいる。浄土真宗本願寺派金秀寺(庄原市)住職で、宗門校の武蔵野大(東京)学長を務める西本照真(てるま)さん(62)。15日の終戦の日を前に、広く共有したい教えを聞いた。(山田祐)

  ―仏教と「幸福学」の取り合わせが新鮮です。
 スッタニパータという仏典に、ブッダの「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」との言葉が記されています。仏教の根本的な願いです。幸福学の原点となる心持ちがそこにあるのだと考えています。

 言うまでもなく、幸福の根幹は世の中が平和であること。それが人類共通の願いであることは疑いがありません。

 近代西洋でも幸福学が研究されてきましたが、「全てが満たされた状態」を目指し、利便性や快適さが重視されてきました。でも、年齢を重ねれば体が動きにくくなるのは当然です。思うようにいくかどうかだけを幸福の基準としてしまうと、人はどんどん不幸になることになりますよね。

 私が取り組んでいるのは仏教の立場からの幸福感の追究です。誰もが生老病死などの「四苦八苦」という根源的な苦悩を抱えています。その苦悩と向き合い、受け止めながら力強く生きていくのが仏教の教えです。争い合う愚かさも苦悩に含まれます。

  ―仏教学を専門としながら、幸福学に着目されたきっかけを教えてください。
 さまざまな出会いの中でその大切さを少しずつ感じてきましたが、大きかったのは2016年、武蔵野大の学長に就いたことです。仏教の四弘誓願(しぐぜいがん)を建学の精神としています。ブッダの四つの願いを説いたものです。うち一つが「生きとし生けるものの幸せ」です。

 学生たちに共感してもらうために何ができるか、頭を悩ませました。分かりやすい表現が必要であると考え、大学の目指す姿を「世界の幸せをカタチにする。」と定めました。幸福学を深めていくエンジンがかかった瞬間でした。

 自分一人だけではなく世界中の人々、生き物の幸せを実現する。そういうメッセージが込められたものとして仏教の教えを受け止めてほしいと考えています。

 ことし武蔵野大に「身体的、精神的、社会的に良い状態」を意味するウェルビーイングを専門に学ぶ学部を新設しました。仏教だけではなく心理学や工学、哲学、福祉など、あらゆる角度から生きとし生けるものの幸せを研究します。

  ―学生たちに平和への願いを繰り返し伝えていますね。
 幸せや平和について考えるようになったのは、広島県で育ったのが大きいと思っています。毎年8月6日は小学校の登校日で、皆で黙とうしていました。私の寺でもその日は必ず午前8時15分に鐘を鳴らします。

 原爆が落とされた当時のことは、母からも聞かされています。小学生だった母は現在の広島市安佐北区の辺りで畑仕事をしていて、きのこ雲を目撃したそうです。やがて大勢の傷ついた人たちが戻ってくるのを見ています。

 私は広島学院中・高に通ったことで、被爆地の近くで平和の尊さを学びもしました。幼い頃から培った平和への思いが現在の幸福学につながっています。

 平和について語ると、時に「仏教者に何ができるのか」と問われることがあります。たしかに仏教が紛争を解決する特効薬になるわけではありません。国際会議を開催して、仲裁に入って判決を下すのが仏教者の役割ではないのです。

 大切なのは仏教の見つめる命の視点です。戦争の歴史を見れば、命ある人間の残虐さ、悲しさ、愚かさが詰まっています。

 一方、仏教には「縁起」の思想があります。皆がつながり合い、その中に私もある。そう考えれば、他者に対する暴力的な行為は控えるものでしょう。それを皆で共有することが、世界中の幸せと平和の実現に向けた一歩になると信じます。

(2024年8月12日朝刊掲載)

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