天風録 『五輪と平和』
24年8月13日
日本のメダルラッシュで寝不足になったパリ五輪で、記憶に残る言葉の一つが「バロン(男爵)西以来」。馬術で92年ぶりのメダルに輝いた朗報で西竹一を知った人もいよう。大戦末期の硫黄島で戦死した金メダリストだ▲陸軍軍人で広島の幼年学校で馬術に目覚める。1932年ロサンゼルス五輪で優勝。父が外交官で、爵位を持つため米国で親しまれた。その国が相手の激戦では一緒に栄冠をつかんだ愛馬のたてがみを身に着けて散る▲西をはじめ日本の「戦没オリンピアン」の生涯を、いま福山市人権平和資料館の企画展で学べる。元五輪選手の曽根幹子さんの調査に基づく展示に、決して過去の話ではないと痛感する▲戦禍の中を走り抜けたパリ五輪。フェンシングや陸上で金メダルのウクライナ代表が「母国で多くのアスリートが死んでいる」と口々に訴えたのも目を引いた。祝祭色が強まる一方で平和の祭典の役割は果たせたのか▲「五輪が平和をつくり出すことはできないが、平和の文化を生み出せる」とはバッハ会長の閉会式の言葉だ。戦争の現実から微妙に目をそらせたようにも思える。次の舞台は西と愛馬が輝いたロス。世界はその時どうなっていよう。
(2024年8月13日朝刊掲載)
(2024年8月13日朝刊掲載)