社説 パリ五輪閉幕 「持続可能」へ宿題残した
24年8月13日
パリ五輪が閉幕した。期間中にテロ事件などはなく、無事に余韻を味わえるのは何よりだ。3年前に新型コロナウイルス禍で無観客だった東京五輪から一転、選手の活躍を観客が歓声と拍手でたたえて盛り上がりを取り戻した。
観光名所を生かす競技会場やメダリストが祝福を受ける催しなど、「広く開かれた大会」の演出が効き、史上最多の約950万人が集った。映像を通した観戦を含め、選手と共にスポーツの喜びを再確認したといえよう。
日本選手は金メダル20個を含む計45個を獲得し、ともに海外開催の五輪で最多を更新した。技で圧倒したレスリングをはじめ選手の努力には頭が下がる。欧州勢が強かったフェンシングや陸上女子やり投げの躍進は目を見張った。望む結果を出せなかった選手にも同時に拍手を送りたい。
目を引いたのは新たなスポーツ文化だ。スケートボードは競争相手にも全力で声援を送り、勝敗を決した直後に笑顔で互いをたたえる。スポーツクライミングは選手同士でルートの攻略方法を相談し、高め合う。日本女子選手が初代金メダルを獲得したブレイキンも新風を吹き込んだ。
国対抗のメダル至上主義とは異なる価値観も広がった。戦争や迫害から逃れるため祖国を離れた選手たちでつくる難民選手団が初めてメダルを得たのは象徴的である。
多様性を強く打ち出し、慣例を破る試みが見られた。出場枠の男女同数を初めて実現し、女子マラソンを男子の翌日の大会最終日に据えた。
一方、ボクシング女子で金メダルを取った選手の性別を巡って騒動が起き、現行の男女の競技区分では対処が難しいことも浮き彫りとなった。開会式では、性的少数者らがパフォーマンスをする演出が保守派の批判を浴びた。理念と現実との溝は深く、平等の実現は道半ばと言える。
五輪そのものが果たして持続可能なのか。改めて突きつけられた大会でもあった。
何より戦時下の開催となったのは痛恨である。国連が呼びかけた五輪休戦どころかウクライナの戦争や、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃は苛烈さを増す。ロシアとベラルーシから「中立選手」としての参加者はわずかで、事実上、排除したことで「平和の祭典」の理念に逆行したのは否めない。
さらに国際的な交流サイト(SNS)の課題が持ち込まれたのは看過できない。選手への誹謗(ひぼう)中傷は明らかに度を越し、五輪を題材にした偽動画も氾濫した。
肥大化し、金がかかる五輪を払拭するため、大半の会場は既存か仮設の施設とした。街全体を使った運営は無駄な経費を抑えたが、水質の悪いセーヌ川でトライアスロンなどを実施し、粗も目立った。主役である選手の競技環境を損なっては本末転倒だろう。
行き過ぎた商業主義や気候変動への対応、招致活動や組織委の疑惑など、パリが残した宿題は山積みだ。4年後にロサンゼルス五輪を迎える。原点に立ち返り、大会のありようを問い続けたい。
(2024年8月13日朝刊掲載)
観光名所を生かす競技会場やメダリストが祝福を受ける催しなど、「広く開かれた大会」の演出が効き、史上最多の約950万人が集った。映像を通した観戦を含め、選手と共にスポーツの喜びを再確認したといえよう。
日本選手は金メダル20個を含む計45個を獲得し、ともに海外開催の五輪で最多を更新した。技で圧倒したレスリングをはじめ選手の努力には頭が下がる。欧州勢が強かったフェンシングや陸上女子やり投げの躍進は目を見張った。望む結果を出せなかった選手にも同時に拍手を送りたい。
目を引いたのは新たなスポーツ文化だ。スケートボードは競争相手にも全力で声援を送り、勝敗を決した直後に笑顔で互いをたたえる。スポーツクライミングは選手同士でルートの攻略方法を相談し、高め合う。日本女子選手が初代金メダルを獲得したブレイキンも新風を吹き込んだ。
国対抗のメダル至上主義とは異なる価値観も広がった。戦争や迫害から逃れるため祖国を離れた選手たちでつくる難民選手団が初めてメダルを得たのは象徴的である。
多様性を強く打ち出し、慣例を破る試みが見られた。出場枠の男女同数を初めて実現し、女子マラソンを男子の翌日の大会最終日に据えた。
一方、ボクシング女子で金メダルを取った選手の性別を巡って騒動が起き、現行の男女の競技区分では対処が難しいことも浮き彫りとなった。開会式では、性的少数者らがパフォーマンスをする演出が保守派の批判を浴びた。理念と現実との溝は深く、平等の実現は道半ばと言える。
五輪そのものが果たして持続可能なのか。改めて突きつけられた大会でもあった。
何より戦時下の開催となったのは痛恨である。国連が呼びかけた五輪休戦どころかウクライナの戦争や、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃は苛烈さを増す。ロシアとベラルーシから「中立選手」としての参加者はわずかで、事実上、排除したことで「平和の祭典」の理念に逆行したのは否めない。
さらに国際的な交流サイト(SNS)の課題が持ち込まれたのは看過できない。選手への誹謗(ひぼう)中傷は明らかに度を越し、五輪を題材にした偽動画も氾濫した。
肥大化し、金がかかる五輪を払拭するため、大半の会場は既存か仮設の施設とした。街全体を使った運営は無駄な経費を抑えたが、水質の悪いセーヌ川でトライアスロンなどを実施し、粗も目立った。主役である選手の競技環境を損なっては本末転倒だろう。
行き過ぎた商業主義や気候変動への対応、招致活動や組織委の疑惑など、パリが残した宿題は山積みだ。4年後にロサンゼルス五輪を迎える。原点に立ち返り、大会のありようを問い続けたい。
(2024年8月13日朝刊掲載)