[歩く 聞く 考える] 論説委員 吉村時彦 遺骨と日本人
24年8月14日
死者への敬意 失ってはならぬ
骨をば先祖の骨を置く所に置けば、子孫の繁盛するなり―。
平安末期の関白藤原忠実の言行録「中外抄」に、忠実の祖父、師実がこう語ったと記されている。
遺骨に特別な感情を抱く、日本人の宗教観の源流が、古書に垣間見える一例だろう。
先の戦争で犠牲となり、異国の地に眠る戦没者の遺骨を持ち帰る取り組みは今なお続く。
沖縄県では多くの市民が命を落とした南部の激戦地の遺骨混じりの土砂を、名護市辺野古の米軍新基地埋め立て地に投入する計画に激しい反発が起きた。犠牲者に顔向けできないという沖縄の思いに共感する人は多いに違いない。
ところが、それとは真逆の動きも目立ってきた。故人の骨を砕いて海などにまく散骨が広がったのはここ30年ほど。墓に遺骨を納めない「樹木葬」も増えている。
とりわけ新型コロナウイルス禍を機に流れは加速した。葬儀なしでそのまま火葬する「直葬」はおろか、火葬場に遺骨の処分まで委ねる「ゼロ葬」も浸透しているのには驚く。戦没者の遺骨収集が国策である一方で、遺骨を捨てるに等しいような動きが進む二極化をどう受け止めればいいのだろう。
山梨県笛吹市の遠妙寺住職、長澤宏昌さん(68)は「今、先祖観を問う」という自著で、死をぞんざいに扱う風潮に警鐘を鳴らしてきた。広島大で考古学を学び、山梨県埋蔵文化財センターなどで長年発掘業務に携わってきた。
長澤さんは、自ら発掘に当たった広島県北の帝釈峡遺跡群を挙げ「縄文人は肉親の骨を住居である洞窟内に埋めていた。遺骨に亡き人への愛情や恐れを感じ、身近に置いていたはず」と話す。そんな死者への敬意を、現代人が失ってもいいのかと問いかける。
戦後の高度成長を経て、先祖代々の土地や家に個人が縛られなくなり、遺骨の扱いは個々の価値観に委ねられるようになった。大都市では墓地が高額過ぎて確保できず、地方では墓や遺骨の関係者が都会に出て行ったまま戻らない。
遺骨を託す人がいなくなる事例があちこちで広がる。とりわけ身寄りのない高齢者が、遺骨や墓を始末した方が迷惑をかけずに済むと考える気持ちは分かる。
そもそも日本でも海外でも、祈りの対象は霊魂である。遺骨を故人そのものか、霊魂とを結び付ける重要な存在と受け止める日本人とは違い、海外の多くは遺骨に特別な感情を持ち合わせていない。
死体をアルカリ溶液で分解したり、コンポストで堆肥にしたりする「エコ葬」も普及する。インドでは死者をガンジス川に流す。いずれも私たちにはなじみのない手法だが、遺骨を骨つぼに納めて保管する日本のやり方も海外では奇妙に映るのが現実なのだ。
遺骨に対する日本人の特別な感情は仏教の教えではない。ゼロ葬で遺骨を引き取らないことは、あながち不信心とも言えない。それが遺骨は不要という主張の根拠の一つにもなっているようだ。
人工知能(AI)を使い、故人と生前のように対話することも可能になるだろう。仮想空間上で故人が永遠に生き続けることになれば、遺骨へのこだわりや思いはさらに薄れていくかもしれない。
だからといって死者が弔いもされず、遺骨も捨てられる世の中になってもいいとは思えない。
遺骨離れはバブル期を中心に広がった、弔いより故人の顕彰に重きを置くような高額で派手な葬儀への疑問や反発もあるだろう。長澤さんは、葬儀業者や寺側に反省すべき点は多いとしつつも「家族の遺骨さえ粗末にするような人が果たして他者に優しくできるでしょうか」と問いかける。
亡き人を悼み、遺骨を拾うことで遺族は心の痛みを和らげてきた。残された人たちが悲しみを共有することは、命の重みを知る上で重要な儀式でもあったはずだ。ゼロ葬が当たり前になれば、命の感覚さえも失われてしまう。
1979年に刊行された「昭和万葉集」にこんな一首がある。
「箱一つ還りきたりて亡き人を思へとならしその軽き箱」(山本道子)
遺骨の入っていない箱を受け取った妻のやるせなさに、多くの国民が涙した時代はそんな遠い昔の話ではないのだ。
「できるだけ死体処理に金をかけない」という考えは合理的かもしれない。だが、死者への敬意が欠けては意味はなかろう。
(2024年8月14日朝刊掲載)