『生きて』 脚本家 池端俊策さん(1946年~) <10> 「太平記」
24年8月14日
1年勉強し2年で書く
仕事を重ねていくと、NHKの人から雑談で「大河ドラマをやるなら、どの時代をやりたいですか」と聞かれることがあった。決まって「太平記」と答えた。学生の頃から原典を読んでいて、テンポの小気味よい文章が好きだった。足利尊氏や楠木正成たち登場人物が生き生きと描かれ、名場面もある。ただ天皇家が分かれた南北朝時代ということで、実現は難しいといわれていた。
≪時代は昭和から平成へ。1991年の「太平記」の脚本執筆が決まる≫
うれしかったねえ。最初の大きな仕事は主役を誰にするかだった。1年間、NHKの顔になる人だからね。僕は映画「麻雀放浪記」を見て、真田広之がいいなと思っていた。尊氏のつらい心情を、言葉少なにうまく出せる。雌伏の時を経て行動を起こすときの力強さもある。プロデューサーや演出家も賛同してくれた。
大河は3年仕事。1年勉強して、2年で書く。最初の1年はとにかく資料を読んだ。荘園制度について最も権威のある大学教授のところに1週間通ったこともあった。
書くプレッシャーはあった。自分がその時代を生きている気持ちにならなければいけない。尊氏ならこうするだろうかと自らに問い続けた。脚本を書いている2年間、頭の中は真田君の顔で埋め尽くされていたよ。
10話くらいまで進むと、主な登場人物が出そろう。それぞれの人物像を手の内に入れると、自然と人物同士が語り出すようになる。もっともっと話を膨らませたくなる。結果、当初より物語の進行が遅れてしまった。忙しい役者の中には「自分の役を早く死なせて」なんて言う人も。一生懸命に書いているのにがっかりしたし、頭にきた。
3年間、走り続けた。原稿用紙に「終」の一文字を書いたときは放心状態。明日から何をしていいのか分からない。燃え尽き症候群のようだった。
(2024年8月14日朝刊掲載)