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社説・コラム

社説 岸田首相退陣へ 国民とのずれ 埋められず

 岸田文雄首相はきのうの記者会見で、9月の自民党総裁選に立候補せず、退陣する意向を表明した。

 自民党派閥の裏金事件に関して「残されていたのは自民党トップとしての責任」と述べ、自ら身を引くことが党再生の一歩になると強調した。政治責任を明確にしたのは評価したいが、政権継続の意欲をにじませていただけに額面通りには受け取れない。事件がもたらす逆風がやみそうになく、撤退に追い込まれたのが本当のところだろう。

 退陣という重い決断の背景を、誰もが聞きたかったはずだ。ところが記者会見では肝心な質問への答えをはぐらかし、わずか20分余りで切り上げた。首相と国民の意識のずれを、この退陣表明が象徴しているのではないだろうか。

信頼回復ならず

 首相はきのうも口にした。「自民党は変わらなければならない」。実は3年前の総裁選に挑んだ際も、同じフレーズを唱えていた。

 菅義偉前首相が強権的な手法や後手に回った新型コロナウイルス対策で国民の反発を受けた。参院選広島選挙区を舞台にした河井克行元法相夫妻の大規模買収事件では安倍政権中枢の関与も疑われた。

 だからこそ総裁選や首相就任直後の衆院選で、政治の信頼回復に対する首相の意気込みは支持を集めた。それを果たせず忸怩(じくじ)たる思いだろう。

 閣僚や自民党議員の相次ぐ不祥事、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との接点が明らかになるたび、内閣支持率は低迷した。拍車をかけたのは昨年秋に表面化した裏金事件である。

 岸田派の解散や政治倫理審査会出席、パーティー券購入者名の公開基準引き下げを「国民の方を向いた決断」と胸を張った。国民は全容解明に後ろ向きな姿勢と合わせ、政治資金改革に踏み込みが足りぬと受け止めた。党内では首相の独断と捉えられ求心力の低下を招いた。それらをひっくるめて「政治家の意地」と形容されても解釈に困る。

核なき世界掲げ

 被爆地を地盤とする初の首相への期待は大きかった。先進7カ国(G7)や国連を舞台に「核兵器のない世界」の実現を声高に訴えた。昨年はG7サミットの広島開催を実現。核保有国の米英仏など参加国の首脳が原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花したシーンは記憶に新しい。

 しかし、首相が議長として発表した核軍縮文書「広島ビジョン」は被爆者の失望を招いた。ウクライナに侵攻したロシアが核の脅しを続け、中国が核戦力増強を図る中、G7の核は「防衛目的のために役割を果たす」と核抑止力を肯定したためだ。

 核兵器禁止条約に背を向け続け、核保有国と非保有国の橋渡しも果たさぬままである。きのうの会見で「核なき世界」へ言及がなかったのは、具体的な前進を果たせなかったせいなのだろうか。

 安全保障では米国への依存を深めた。看過できないのは先月、核を含む「拡大抑止」の強化で交わした合意だ。これは米国の核戦略に日本が組み込まれることを意味する。

あしき手法踏襲
 ハト派と目されてきた首相には、戦後日本が掲げた平和主義に基づく外交や、国民の幅広い合意形成というリーダーシップが期待された。

 ところが防衛力の強化や武器輸出基準の緩和、原発活用などを国会での議論抜きに進めた。基本政策の大転換を閣議決定で済ませてしまう。そんなあしき政治手法を安倍政権から引き継いだのは、自民1強のおごりともいえよう。

 政権発足時に掲げた「聞く力」は影を潜め、物価高などに伴う生活不安を拭えなかった。会見で見せた実績への自負を、国民はどう受け止めただろう。最後まで世論との溝を埋められなかったのが残念でならない。

(2024年8月15日朝刊掲載)

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