『美術散歩』 思いを表現 ヒロシマ継承
24年8月15日
◎隠地妙展 18日まで。広島市中区、広島県立美術館県民ギャラリー
躍動感のある線と鮮やかな色彩。どの作品にも深い奥行きと、沸き立つような力強いエネルギーを感じる。広島市南区出身の画家隠地妙さん(81)=東京=の14年ぶりとなる故郷での個展。幅5メートルを超える大作など約30点が並ぶ。
「像を写すのではなく理念のようなものを、自分の中にある思いの広がりを表現したい」と語る。東日本大震災や新型コロナウイルス禍など、時代の空気感を捉え、自身が感じた「今」を作品に表してきた。
広島女学院高から女子美術大へ進学。結婚、出産を経て40歳の頃、本格的に絵画の道へ。パリの工房で修業を積み、海外の展示会などに作品を出品してきた。
隠地さんが「原点となる作品」と語るのが、「光」(1992年)だ。赤い画面の中心に石こうで描いた白い楕円(だえん)を配し、周囲には飛び跳ねるような線が放射状に広がる。2歳の時、爆心地から約2キロの地点で被爆した経験を基に、原爆のさく裂する一瞬をイメージした。
あの日から79年。継承への思いが強まっている。隠地さんは「ヒロシマを伝えようとするさまざまな活動がもっと知られてほしい。その役に立てるよう、私も描き続ける」と話す。入場無料。17日午後3時から隠地さんによるトークがある。(仁科裕成)
(2024年8月15日朝刊掲載)
躍動感のある線と鮮やかな色彩。どの作品にも深い奥行きと、沸き立つような力強いエネルギーを感じる。広島市南区出身の画家隠地妙さん(81)=東京=の14年ぶりとなる故郷での個展。幅5メートルを超える大作など約30点が並ぶ。
「像を写すのではなく理念のようなものを、自分の中にある思いの広がりを表現したい」と語る。東日本大震災や新型コロナウイルス禍など、時代の空気感を捉え、自身が感じた「今」を作品に表してきた。
広島女学院高から女子美術大へ進学。結婚、出産を経て40歳の頃、本格的に絵画の道へ。パリの工房で修業を積み、海外の展示会などに作品を出品してきた。
隠地さんが「原点となる作品」と語るのが、「光」(1992年)だ。赤い画面の中心に石こうで描いた白い楕円(だえん)を配し、周囲には飛び跳ねるような線が放射状に広がる。2歳の時、爆心地から約2キロの地点で被爆した経験を基に、原爆のさく裂する一瞬をイメージした。
あの日から79年。継承への思いが強まっている。隠地さんは「ヒロシマを伝えようとするさまざまな活動がもっと知られてほしい。その役に立てるよう、私も描き続ける」と話す。入場無料。17日午後3時から隠地さんによるトークがある。(仁科裕成)
(2024年8月15日朝刊掲載)