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連載・特集

緑地帯 天瀬裕康 原爆文学いま一度③

 童話「おこりじぞう」などで有名な山口勇子さん(1916~2000年)は、児童文学者の三浦精子さんによれば、東京で生まれるとすぐ広島市大手町(現中区)の堀田眼科医院の長女として入籍する。私は三浦さんが代表を務めた児童雑誌の研究会で、山口さんを知った。

 山口さんは1934年に広島県立広島高等女学校(現皆実高)を卒業後、広島女学院専門学校に進むが、36年に文吾さんとの結婚のため中退し上京した。45年に夫が戦地へ。1男2女を連れ今の西区井口に疎開したが、原爆で両親と夫の両親を失う。63年に同人誌「子どもの家」の代表となり、「荒れ地野ばら」(81年)は、第14回多喜二・百合子賞を受賞している。

 社会的活動としては、まず原爆孤児の救援活動に参加し、「広島子どもを守る会」(森滝市郎会長)の副会長を経て、「日本子どもを守る会」の常任理事として、原爆孤児の施設づくりに奔走した。また日本原水協に所属し、世界大会では代表理事、大会議長などを務めた。創刊が72年の雑誌「原爆と文学」も重要であろう。

 私がこの雑誌に寄稿した最初は2000年版に、本名の渡辺晋名義で書いた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)に関するエッセーだ。その年の1月に彼女は亡くなったが、03年版の表紙絵は山口勇子の顔だった。02、04年版には筆名の天瀬で創作を載せたが、10年には編集・発行の増岡敏和さんも没し、「原爆と文学」との縁は切れた。(作家・詩人=広島市)

(2024年8月15日朝刊掲載)

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