在ブラジル被爆者 森田隆さん死去 「心強い存在だった」広島から追悼
24年8月15日
南米に暮らす被爆者の援護に尽くし、12日に100歳で亡くなった在ブラジル被爆者の森田隆さんの訃報を受け、広島や現地の関係者は14日、功績をたたえ、追悼した。
「被爆者は日本や韓国だけでなく、世界に散らばって暮らしているとの認識を広めた」。1990年代後半から森田さんと親交があった在ブラジル・在アメリカ被爆者を支援する会の田村和之代表世話人(82)=広島市東区=は敬意を表した。
森田さんは56年にブラジルに移住し、84年に在ブラジル原爆被爆者協会を結成(後のブラジル被爆者平和協会、解散)。2002年、日本国外に出ると打ち切られていた被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を求め、国などを提訴した。田村さんは「祖国の政府を訴えるのを非常にためらっていたが、なぜ自分たちはほったらかしなのか、との思いだったのだろう」と推し量る。
森田さんは旧日本軍の憲兵だった45年、今の西区で被爆した。被爆者で、在韓被爆者の支援に取り組む豊永恵三郎さん(88)=安芸区=は「憲兵だったとは思えない温厚な人。在外被爆者をともに支援する中、心強い存在だった」と振り返る。
サンパウロ市の元邦字紙記者で20年以上交流のあった堀江剛史さん(49)=南区=は「原爆が人生にずっとのしかかった人。ブラジル社会に貢献しつつ日本のために働き、一移民としてあっぱれ」。森田さんが登場するドキュメンタリーの上映会を17日午後5時から中区土橋町の交流スペース「kitokoi(樹と鯉)」で開く。
葬儀に参列した元協会理事で被爆者の渡辺淳子さん(81)=サンパウロ市=は「安らかな表情だった。遺志を継ぎ、動ける限り、被爆者の体験と反核平和の思いを伝え続けたい」と誓った。(下高充生、山下美波、森田裕美)
(2024年8月15日朝刊掲載)
「被爆者は日本や韓国だけでなく、世界に散らばって暮らしているとの認識を広めた」。1990年代後半から森田さんと親交があった在ブラジル・在アメリカ被爆者を支援する会の田村和之代表世話人(82)=広島市東区=は敬意を表した。
森田さんは56年にブラジルに移住し、84年に在ブラジル原爆被爆者協会を結成(後のブラジル被爆者平和協会、解散)。2002年、日本国外に出ると打ち切られていた被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を求め、国などを提訴した。田村さんは「祖国の政府を訴えるのを非常にためらっていたが、なぜ自分たちはほったらかしなのか、との思いだったのだろう」と推し量る。
森田さんは旧日本軍の憲兵だった45年、今の西区で被爆した。被爆者で、在韓被爆者の支援に取り組む豊永恵三郎さん(88)=安芸区=は「憲兵だったとは思えない温厚な人。在外被爆者をともに支援する中、心強い存在だった」と振り返る。
サンパウロ市の元邦字紙記者で20年以上交流のあった堀江剛史さん(49)=南区=は「原爆が人生にずっとのしかかった人。ブラジル社会に貢献しつつ日本のために働き、一移民としてあっぱれ」。森田さんが登場するドキュメンタリーの上映会を17日午後5時から中区土橋町の交流スペース「kitokoi(樹と鯉)」で開く。
葬儀に参列した元協会理事で被爆者の渡辺淳子さん(81)=サンパウロ市=は「安らかな表情だった。遺志を継ぎ、動ける限り、被爆者の体験と反核平和の思いを伝え続けたい」と誓った。(下高充生、山下美波、森田裕美)
(2024年8月15日朝刊掲載)