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海外で戦死の兄 「一緒に帰ろう」 竹原の81歳清田さん、来月インドネシアへ慰霊の旅

戻らぬ遺骨 両親の無念胸に

 竹原市東野町の清田英機さん(81)が9月、太平洋戦争末期に兄が戦死したインドネシアを慰霊のため初めて訪れる。亡くなってから79年が過ぎた今も遺骨は戻ってきていない。兄の最期を気にかけながら逝った両親の無念を思い「兄の魂を迎えにいく」と決心した。(渡部公揮)

 清田さんなどによると、陸軍に所属していた兄武雄さんは1945年3月28日、セレベス島(現スラウェシ島)のマカッサル沖で兵士らを輸送していた掃海艇に乗船中、米軍機の爆撃を受けた。掃海艇は沈没し、武雄さんを含む200人超が犠牲になったとされる。武雄さんは24歳だった。

 5人きょうだいの末っ子の清田さんは長男の武雄さんの出兵後に生まれ、会ったことはない。戦後、両親と一緒に県外で引き取り自宅に持ち帰った白木の箱に入っていたのは、戦死を知らせる紙切れ1枚だけだった。

 父一二(いちじ)さん(79年に80歳で死去)は息子の死に納得できない様子で葬式をしなかった。情報を求めて復員した人に話を聞きに行くなど奔走したが、手がかりはつかめなかった。遺骨の入っていない武雄さんの墓の前に座り、寂しそうに語りかけていたのを覚えている。

 武雄さんが戦地から他の弟宛てに送ったはがきには、柔らかな筆致で「學校のせいせきはどうですか」「まけないように働きます」と記されており、家族思いの人柄がうかがえる。清田さんはしかし、兄を知らないため、これまであまり考えることはなかったという。

 転機は昨年11月。厚生労働省から戦没者の遺骨収集事業に関する書類が届いた。マカッサル沖に沈んだ掃海艇から見つかった遺骨の身元特定に向けたDNA鑑定の案内だった。清田さんは自身の検体を送った。結果はまだ分からないが、武雄さんのことを考えるようになった。政府派遣の海外戦没者の慰霊巡拝先にマカッサルがあると知り、迷いなく申し込んだ。

 他の遺族も含めて10人が9月4日から10日間、インドネシアの各地を訪れ献花などをする。清田さんは「おやじとおふくろの代わりに、兄の最期の場所で一緒に帰ろうと声をかけたい」と話す。

戦没者遺骨収集事業
 政府は第2次世界大戦中に死亡した戦没者の遺骨収集を1952年に始めた。国内外の戦地での戦没者は約240万人。2023年度末時点で約112万人分の遺骨が未帰還で、29年度まで集中的に事業を進める。また、旧主要戦域や遺骨収容の難しい海域では、遺族を対象にした慰霊巡拝を実施している。

(2024年8月18日朝刊掲載)

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