×

社説・コラム

天風録 『池亀和子さん』

 生きていた証しに一人一人、その名を原爆死没者名簿に書き記す。連綿として続ける記帳の営みを、長崎では「筆耕」と呼ぶ。辞書には書写で生計を立てることとあるが、別の意味合いを込めているのだろう▲大地を田畑に変えるのが農耕なら、「筆耕」は心の大地を平らかにすることか。世を去った被爆者にすれば、魂を慰められる思いかもしれない。1985年から広島で筆を執ってきた池亀和子さんがおととい旅立った▲ことし、病に倒れた池亀さんは入院先にも名簿を持ち込み、書き進めていたと聞く。「自分なりの供養」。記帳に臨む心構えをかつて、そんなふうに本紙の取材に答えていた。篤実な人柄がしのばれる▲約5万人分を受け持った名簿で一度、筆先が震えたことがあるらしい。2006年、分厚い1冊に〈氏名不詳者 多数〉とだけ記すよう、広島市に任された。名も知れぬ犠牲者がいまだ数多い現実を突き付けた試みである。7文字の背負う重みが、指先にのしかかったに違いない▲池亀さんも、3歳の時にガラス片が体に刺さった被爆者だった。一点一画に真心を込め、「紙の碑(いしぶみ)」を刻んできたその人の名も来年の夏、原爆慰霊碑に納められる。

(2024年8月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ