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連載・特集

『生きて』 脚本家 池端俊策さん(1946年~) <12> 緒形拳さん

強い個性 書く原動力に

 「お前が育った呉という街を初めて見ることができて、うれしかった」。ドラマ「帽子」のロケ中に、緒形拳さんがしみじみと語っていた。東京生まれだから、田舎があることがうらやましいと度々言っていた。

 初めて会った時の印象は、あまり口を利かず怖い人。それから30年近い付き合いがあり、数々の作品で主役を務めてもらった。最期の主演作の舞台が呉となったのは、偶然だけれど必然というか。最初から意識して書いたわけではないけれど、振り返ってみれば書くべくして書いたドラマなんだと感じている。

  ≪9歳年上の緒形さん。「帽子」の放送時は71歳だった≫

 僕が50代の頃だったかな。「くたびれた」って言ったら「いや、困る。おれは70歳までやるんだから、もう少し頑張れ」ってハッパをかけられたことがあった。あの人がやっているから、書こう。あいつが書くから、まだやってみよう。意識したことはないけれど、僕らの中に、そういう感覚があったのかもしれない。

 仕事とは関係なく会って、次はどんな作品をやろうかなんて話をよくした。お酒を飲まない人だから、食事しながら3時間でも4時間でも。最初の一言は決まって「お前、何考えているんだ。どういうものをやりたいんだ」。頭の中には、いつも二つ三つのネタがあるのでしゃべると、「なぜ興味があるんだ」「どこが面白いんだ」って返ってくる。また答える。そうやって出来上がっていった作品もある。俳優の息子さんの話や昔の恋愛話なんてのもしたね。

 誘われてゴルフもやった。たまたま同じ時期にブラジルを訪れたことがあって、骨董(こっとう)屋巡りもした。書や絵が上手な人だった。ささっと書いたやつを、よくいただいた。

 二枚目じゃないけど愛嬌(あいきょう)があり、誰もが気付く存在感を放つ役者。強烈な個性に、僕も視聴者と同じく引きつけられた一人だった。

(2024年8月17日朝刊掲載)

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