『生きて』 脚本家 池端俊策さん(1946年~) <13> 麒麟がくる
24年8月20日
光秀は生き延びたのか
ドラマ「夏目漱石の妻」(2016年)「破獄」(17年)の後、しばらくオファーがなかった。そろそろ仕事は一段落し、この先、何をして時間を過ごそうかと初めて自分の余生のことなどを考えていた。
2度目の大河の話が来たのは17年暮れだった。70歳を過ぎ、そんな大仕事ができるのか不安があった。興味の持てない時代を書くのもつらい。すると「室町時代末期から戦国時代にかけて」とのことだった。最も面白い時代。前回の「太平記」は室町の始まりを書き、今回は終末を書ける。即オッケーした。
≪「麒麟(きりん)がくる」は明智光秀が主人公。原作はなく、オリジナルドラマの名手としての力を発揮する≫
ずる賢い逆臣という従来のイメージを覆す。ほかの武将も異なる解釈で描くという挑戦だった。主演は長谷川(博己)君だと、のっけから考えていた。彼には嫌みがない。「夏目―」では、これまた神経質な漱石をうまく演じてくれた。池袋のホテルでプロデューサーたちを交えて1時間くらい口説いた。
≪20年の放送は、出演者の逮捕があり、2週間遅れのスタート。新型コロナウイルス禍で撮影が一時休止し、異例の越年放送となった≫
とんでもないことになった。年内で終えるために回数を減らすかという話も出た。しかし、本能寺の変までストーリーを展開するには、短くすることは無理だった。終盤に差しかかっても信長との関係は良好。長谷川君から「本当に本能寺の変を起こせますか」と、心配する声も寄せられたなあ。
≪光秀の生存に含みを持たせたラストシーンは話題に≫
討ち死にする姿を僕自身が見たくなかったのもある。タイトルにある「麒麟」は仁政を行う王の元に現れるとされる。信長の前には現れなかった。光秀は生き延びて「麒麟がくる」のを待ち続ける。それが良いと思ったのです。
(2024年8月20日朝刊掲載)