[ヒロシマドキュメント 1945年] 8月21日 血液障害が増加 脱毛も
24年8月21日
1945年8月21日。広島逓信病院(現広島市中区)で患者を回診した院長の蜂谷道彦さん(80年に76歳で死去)は、原爆の犠牲者が一層増える兆候を感じ取った。6日から1日ごとの行動や心境をつづった「ヒロシマ日記」(55年刊)に、内出血の「斑点のでた者がふえた」と記している。
病院は爆心地の北東約1・4キロに位置。窓ガラスが吹き飛び、医療機器の大半を失ったが、大勢の被爆者を収容していた。
斑点は止血に重要な血小板の減少で生じる。ヒロシマ日記によると、「口内炎や皮下溢血(いっけつ)斑がでてどんどん死んで行く。ピカ直後に死亡の山があり、一時へっていたのがまたふえだしたのだ」(19日)。重いやけどや外傷の人が次々亡くなった被爆直後と様子が違った。
さらに20日に届いた顕微鏡で血液を調べると、多くの患者の白血球は正常値よりも少なかった。蜂谷さんは「血液病」(20日)が起こっていると確信した。
血液障害は放射線で骨髄の造血幹細胞が損傷を受けるため起こり、被爆3週目の20日ごろから顕著になった。蜂谷さんは原子爆弾が使われたとの話を12日に軍関係者から聞いていたが、人体への影響は未知な点ばかりだった。
「頭の髪が束になってぬけるという患者が現れた」(21日)のも「新発見」。放射線による毛根細胞の傷害が原因の脱毛だった。原爆資料館には、爆心地から約800メートルの自宅で被爆した山下博子さん(2014年に87歳で死去)の頭髪が残る。抜けたのは21日。自宅で共に被爆して同じ日に髪が抜けた弟祐策さん=当時(6)=は鼻から出血し、24日に亡くなった。(編集委員・水川恭輔)
(2024年8月21日朝刊掲載)
病院は爆心地の北東約1・4キロに位置。窓ガラスが吹き飛び、医療機器の大半を失ったが、大勢の被爆者を収容していた。
斑点は止血に重要な血小板の減少で生じる。ヒロシマ日記によると、「口内炎や皮下溢血(いっけつ)斑がでてどんどん死んで行く。ピカ直後に死亡の山があり、一時へっていたのがまたふえだしたのだ」(19日)。重いやけどや外傷の人が次々亡くなった被爆直後と様子が違った。
さらに20日に届いた顕微鏡で血液を調べると、多くの患者の白血球は正常値よりも少なかった。蜂谷さんは「血液病」(20日)が起こっていると確信した。
血液障害は放射線で骨髄の造血幹細胞が損傷を受けるため起こり、被爆3週目の20日ごろから顕著になった。蜂谷さんは原子爆弾が使われたとの話を12日に軍関係者から聞いていたが、人体への影響は未知な点ばかりだった。
「頭の髪が束になってぬけるという患者が現れた」(21日)のも「新発見」。放射線による毛根細胞の傷害が原因の脱毛だった。原爆資料館には、爆心地から約800メートルの自宅で被爆した山下博子さん(2014年に87歳で死去)の頭髪が残る。抜けたのは21日。自宅で共に被爆して同じ日に髪が抜けた弟祐策さん=当時(6)=は鼻から出血し、24日に亡くなった。(編集委員・水川恭輔)
(2024年8月21日朝刊掲載)