[歩く 聞く 考える] 広島土砂災害10年 被災の語りに何を学ぶのか 比治山大マスコミュニケーション学科講師 山口梨江さん
24年8月21日
広島市での広島土砂災害から20日、10年がたった。関連死を含めて77人が亡くなり、災害リスクの情報や危機感の共有、命を守るための避難行動の大切さを痛感した。被災者のインタビュー調査をした比治山大マスコミュニケーション学科講師の山口梨江さん(33)は、市が開設し、住民団体が運営する豪雨災害伝承館(安佐南区八木)と共に語りに学ぶ防災に挑む。私たちは教訓を生かせているのか。手応えを聞いた。(論説委員・高橋清子、写真・木村健太)
―被災地でのインタビュー調査を続けていますね。
広島大大学院の在学中に数十回通い、被災から3年後と5年後に聞きました。博士論文では、19人の語りが時間経過でどう変容したのか分析しました。「ボランティアに助けてもらった」「地域で助け合った」と話していた人が、5年後の時に「実は、ああいうところは嫌だった」とぽろっと言う。人間味があり、ネガティブな話も出ます。
―ありのままが聞けると。
3年後の時はメディアが報じた災害の型に当てはめて体験をしゃべる傾向がありました。ところが5年後の時は、独自の感覚や深層部分を表す個人的なエピソードがたくさん出てきます。語りが変わるのなら、防災に生かす場合は、被災者にいつ聞き、何を学びたいのか考えることは大事な論点と見えてきました。
―個人的なエピソードが鍵になりそうです。
一見、災害には関係なさそうなエピソードが誰かに刺さることがあります。どんな人生を送ってきた人が語った言葉なのか、主語やコンテキスト(文脈)も大事です。同じ年齢の子どもがいる、職業が同じといった共通点が見えれば、他人の体験が「自分ごと」になりやすいです。
―伝承館で、被災証言を時系列に並べた「まさにそのとき」の展示を担当しました。
被災者の声を聞くと情景が浮かぶんですよね。「旦那が2階の窓を開けたら…」「次にドンってなったら死ぬかと思った」と。人が暮らしていた場に土砂が流れ、気付いたら逃げられる状況でもありません。それが読み取れます。
―災害から10年たち、教訓を生かせているでしょうか。
線状降水帯などリスクの情報や知識は、以前に比べて伝わるようになりました。ただ市民の防災力が高まったかといえば、怪しいです。事前に考えた避難行動をなぞっては危うい。想像力と、その時に状況判断して動ける柔軟性を鍛える必要があります。みんながどうするかではなく、「自分ならどうする」にしたいのです。
―伝承館と共同で「災害エスノグラフィー」を始めますね。耳慣れない試みです。
被災者の行動をありのままテキストにします。体験談では災害のリアリティーよりも、その人ならではのオリジナリティーにこそ価値があると思っていて、広島弁バージョンも作ります。強調したい箇所で「ほいじゃけ」と方言が出るんですよ。読んでもらうのを入り口に、自らの防災につなげる手法です。
―そもそもインタビューはなぜ始めたのですか。
メディア論で修士論文を書いた後、土砂災害のメカニズムを研究する広島大の海堀正博先生に声をかけられました。土砂災害が起こりやすい地域を明らかにしたのに、災害で亡くなる人が減らないと言われて。リスクに関する情報は知らないといけない一方、分からなかったり深く考えたくなかったりで伝わっていきません。何かできないかと被災地に通いました。
―広島の被爆体験の継承にも関心があるそうですね。
被爆3世です。広島市西区の己斐で育ち、平和教育で体験を聞く機会は多かったのですが、だんだん被爆者ではない私が何を語り継げばいいのか分からなくなりました。進学で広島を1回出て見つめ直し、被爆者に学んだのは平和に対する「態度」ではないかと気付きました。災害でも被災者の行動をそのままなぞる必要はなく、態度を学んだ上で「自分がどうする」にまで深める過程が大切です。広島の人に今問われる課題だと、つなげて考えています。
やまぐち・りえ
広島市佐伯区生まれ。同志社大社会学部卒。2016年に広島土砂災害の被災地でインタビュー調査を開始。広島大大学院総合科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(学術)。専門は社会情報学、メディア論、リスク・コミュニケーション。比治山大現代文化学部マスコミュニケーション学科助教などを経て、24年4月から現職。広島市豪雨災害伝承館の展示検討委員会委員。
(2024年8月21日朝刊掲載)
―被災地でのインタビュー調査を続けていますね。
広島大大学院の在学中に数十回通い、被災から3年後と5年後に聞きました。博士論文では、19人の語りが時間経過でどう変容したのか分析しました。「ボランティアに助けてもらった」「地域で助け合った」と話していた人が、5年後の時に「実は、ああいうところは嫌だった」とぽろっと言う。人間味があり、ネガティブな話も出ます。
―ありのままが聞けると。
3年後の時はメディアが報じた災害の型に当てはめて体験をしゃべる傾向がありました。ところが5年後の時は、独自の感覚や深層部分を表す個人的なエピソードがたくさん出てきます。語りが変わるのなら、防災に生かす場合は、被災者にいつ聞き、何を学びたいのか考えることは大事な論点と見えてきました。
―個人的なエピソードが鍵になりそうです。
一見、災害には関係なさそうなエピソードが誰かに刺さることがあります。どんな人生を送ってきた人が語った言葉なのか、主語やコンテキスト(文脈)も大事です。同じ年齢の子どもがいる、職業が同じといった共通点が見えれば、他人の体験が「自分ごと」になりやすいです。
―伝承館で、被災証言を時系列に並べた「まさにそのとき」の展示を担当しました。
被災者の声を聞くと情景が浮かぶんですよね。「旦那が2階の窓を開けたら…」「次にドンってなったら死ぬかと思った」と。人が暮らしていた場に土砂が流れ、気付いたら逃げられる状況でもありません。それが読み取れます。
―災害から10年たち、教訓を生かせているでしょうか。
線状降水帯などリスクの情報や知識は、以前に比べて伝わるようになりました。ただ市民の防災力が高まったかといえば、怪しいです。事前に考えた避難行動をなぞっては危うい。想像力と、その時に状況判断して動ける柔軟性を鍛える必要があります。みんながどうするかではなく、「自分ならどうする」にしたいのです。
―伝承館と共同で「災害エスノグラフィー」を始めますね。耳慣れない試みです。
被災者の行動をありのままテキストにします。体験談では災害のリアリティーよりも、その人ならではのオリジナリティーにこそ価値があると思っていて、広島弁バージョンも作ります。強調したい箇所で「ほいじゃけ」と方言が出るんですよ。読んでもらうのを入り口に、自らの防災につなげる手法です。
―そもそもインタビューはなぜ始めたのですか。
メディア論で修士論文を書いた後、土砂災害のメカニズムを研究する広島大の海堀正博先生に声をかけられました。土砂災害が起こりやすい地域を明らかにしたのに、災害で亡くなる人が減らないと言われて。リスクに関する情報は知らないといけない一方、分からなかったり深く考えたくなかったりで伝わっていきません。何かできないかと被災地に通いました。
―広島の被爆体験の継承にも関心があるそうですね。
被爆3世です。広島市西区の己斐で育ち、平和教育で体験を聞く機会は多かったのですが、だんだん被爆者ではない私が何を語り継げばいいのか分からなくなりました。進学で広島を1回出て見つめ直し、被爆者に学んだのは平和に対する「態度」ではないかと気付きました。災害でも被災者の行動をそのままなぞる必要はなく、態度を学んだ上で「自分がどうする」にまで深める過程が大切です。広島の人に今問われる課題だと、つなげて考えています。
やまぐち・りえ
広島市佐伯区生まれ。同志社大社会学部卒。2016年に広島土砂災害の被災地でインタビュー調査を開始。広島大大学院総合科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(学術)。専門は社会情報学、メディア論、リスク・コミュニケーション。比治山大現代文化学部マスコミュニケーション学科助教などを経て、24年4月から現職。広島市豪雨災害伝承館の展示検討委員会委員。
(2024年8月21日朝刊掲載)