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[ヒロシマドキュメント 1945年] 8月20日ごろ 血液障害 赤十字病院も

 治療を求める被爆者が殺到した広島市中心部の広島赤十字病院(現中区の広島赤十字・原爆病院)。やはり1945年8月20日ごろ、患者の症状に変化が起きた。

 「八月二十日頃ヨリハ外傷、火傷ヲ伴ハナイ人ガ所謂(いわゆる)血液障害症ヲ発病スル者ガ次第ニ増シテ参リマシテ…」。竹内釼(けん)院長(74年に84歳で死去)名の「概況報告書」(宮内庁宮内公文書館所蔵)に記録がある。昭和天皇が派遣した永積寅彦侍従の広島入り(9月3日)に合わせ、まとめられた。

 患者は病原菌から体を守る白血球が極端に減っていた。正常値は血液1立方ミリメートル当たり4千~9千個程度だが、「死亡直前ニハ白血球ノ数ハ五〇〇―六〇〇トナリマス」(報告書)。9月3日にかけて関連する患者の死亡は369人に上った。

 院内では原爆の放射線でエックス線フィルムが感光し、原子物理学者の仁科芳雄博士が加わる大本営調査団もそれを確認した。報告書は感光を説明し、血液障害の背景にある原爆の放射線を挙げている。患者だけでなく、被爆した病院職員も白血球が減っており、「病院ノ職員ハ医学的ニ申セバ所謂身体的ニモ罹災(りさい)者」(同)と伝えた。

 一方で、残留放射線の影響の有無が大きな懸念材料だった。竹内院長の当時の手帳には「不健康地」(8月22日)「不健康地(ウラニューム)」(30日)との走り書きが残る。命を救う医療従事者も健康を害され、現場の安全すら脅かされる。非人道的な放射線被害に遭いながら救護を続けていた。(山本真帆)

(2024年8月22日朝刊掲載)

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