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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマウォッシング?

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 特にここ数年だろう。先日閉幕したパリ五輪に際しても、英文メディアで「スポーツウォッシング」という言葉を見聞きした。国民が歓喜するスポーツ大会に乗じ、人権侵害や侵略などの失政を洗い流すかのように為政者が自己イメージを向上させること。上辺だけの環境問題への取り組みなら「グリーンウォッシング」となる。

 「○○ウォッシング」なる言い方を知らなかった頃から、広島で似た感覚を時折抱いている。最初は14年前、広島を訪れたイスラエルの副大臣を取材した時のことだ。

 原爆慰霊碑に献花する姿に、大学生時代に旅したアウシュビッツで見た光景を重ね、胸を揺さぶられた。でも聞いた。「イスラエルは核拡散防止条約(NPT)に加盟せず事実上の核保有国で…」。副大臣の神妙な表情が一変し「他国を威嚇してNPTに(加盟しながら)違反するイランと民主主義のわが国は違う。リンゴとオレンジを同じと言うのか」と怒られた。

 各国の政治家は広島に来ると「死者を悼み平和を愛する者」となり、市民も報道も歓迎一色に流れがちだ。8年前のオバマ米大統領(当時)来訪や、昨年広島に日本と主要6カ国の首脳らが集ったサミットの取材でも痛感した。

 だが、洗い流せるのは表面だけだ。いざとなれば被爆地と何かをてんびんにかけることをいとわない。9日の長崎市の平和祈念式典では、市がイスラエルを招かないのを理由に、6カ国と欧州連合の大使が出席を取りやめた。

 政策に責任を負う権力者を招き入れる時、私たちは神妙な表情ばかりを見つめていないか。武器を握る手、人間を踏みつける足から目をそらし、沈黙するなら、被爆地による「ウォッシング」への加担になりかねない。

(2024年8月22日朝刊掲載)

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