四国五郎「戦争詩」を刊行 従軍体験をうたう60編 遺品の草稿から 長男が編集
24年8月22日
絵本「おこりじぞう」や私家版の「原爆詩集」(峠三吉)などの作画で知られる故四国五郎さん(2014年死去)が自らの従軍体験をつづった未発表の詩編が、「戦争詩」として藤原書店(東京)から刊行された。自らの従軍体験を短い言葉に凝縮させ、記録映画さながらに表現。広島市内のアトリエに残されていた草稿ノートを基に、長男の光さん(68)=大阪府吹田市=が編んだ。(森田裕美)
収めた詩は60編。召集から旧満州(中国東北部)での軍隊生活、旧ソ連軍との死闘、敗戦まで、一兵士の目から見た戦争を連作詩で伝える。
四国さんは1924年に現在の三原市大和町に生まれ広島市で育った。44年に召集され従軍とシベリア抑留を体験し48年に帰還。変わり果てた広島で愛する弟の被爆死を知る。戦後は市役所に勤めながら峠らと詩誌「われらの詩(うた)」に参加。広島詩人会議や広島平和美術展を仲間と創設し、画家として詩人として、被爆地から終生、創作で反戦平和を訴え続けた。
本書の基となった詩編は3年前見つかった草稿ノートに残されていた。B5のノートで、表紙には太く荒々しい文字で「戦争詩」と記され、通し番号も振られていた。当初は制作年や書かれた経緯は不明だったが、光さんは遺品の日記の記述や写真など残された資料を丹念に調査。66年に四国さんが体調を崩し広島大病院(南区)に入院した時に書いていたことを突き止めた。
「当時はベトナム戦争が激化していた時期。戦争への怒りと危機感が高まったことが、戦争詩を書く動機になったのだと思う」と光さんはみる。さらに入院中、隣のベッドに運ばれてきた男性患者が、軍隊口調でうわごとを言って亡くなったのを見た経験も背中を押したようだ。「父もまた戦争の記憶から逃れることができなかった。その記憶を表現へのエネルギーに転化させ、病室で一気に書き上げたのでは」
父の草稿を「何らかの形で公にしたい」と、文語調でつづられた詩編に向き合ってきた光さん。若い世代にも届けるため、四国さんが残した膨大な作品群から内容に合うイラストを選び出し、挿絵に。ほかの記録資料とも突き合わせ、各作品に解説と注釈も付けた。四国さんが詩作への思いをつづった文も収めた。
最後を飾る無題の詩は、四国さんが生前繰り返し語っていた敗戦時の記憶。旧ソ連軍に連行される途中に見た、女児2人が高粱(コーリャン)畑をさまよう光景だ。前に並ぶ詩とは味わいが異なる。語りかけるような口語調で、「どうしてこのような」という問いかけで終わる。
「父は生前、自分の作品は反戦平和のために活用してほしいと常に言っていた」と光さん。世界で戦禍が続く今、「戦争とは何か、父の表現を通して追体験することで、実際の戦争を遠ざけてほしい。そんな役割を本書が果たせたら」と話す。
(2024年8月22日朝刊掲載)
収めた詩は60編。召集から旧満州(中国東北部)での軍隊生活、旧ソ連軍との死闘、敗戦まで、一兵士の目から見た戦争を連作詩で伝える。
四国さんは1924年に現在の三原市大和町に生まれ広島市で育った。44年に召集され従軍とシベリア抑留を体験し48年に帰還。変わり果てた広島で愛する弟の被爆死を知る。戦後は市役所に勤めながら峠らと詩誌「われらの詩(うた)」に参加。広島詩人会議や広島平和美術展を仲間と創設し、画家として詩人として、被爆地から終生、創作で反戦平和を訴え続けた。
本書の基となった詩編は3年前見つかった草稿ノートに残されていた。B5のノートで、表紙には太く荒々しい文字で「戦争詩」と記され、通し番号も振られていた。当初は制作年や書かれた経緯は不明だったが、光さんは遺品の日記の記述や写真など残された資料を丹念に調査。66年に四国さんが体調を崩し広島大病院(南区)に入院した時に書いていたことを突き止めた。
「当時はベトナム戦争が激化していた時期。戦争への怒りと危機感が高まったことが、戦争詩を書く動機になったのだと思う」と光さんはみる。さらに入院中、隣のベッドに運ばれてきた男性患者が、軍隊口調でうわごとを言って亡くなったのを見た経験も背中を押したようだ。「父もまた戦争の記憶から逃れることができなかった。その記憶を表現へのエネルギーに転化させ、病室で一気に書き上げたのでは」
父の草稿を「何らかの形で公にしたい」と、文語調でつづられた詩編に向き合ってきた光さん。若い世代にも届けるため、四国さんが残した膨大な作品群から内容に合うイラストを選び出し、挿絵に。ほかの記録資料とも突き合わせ、各作品に解説と注釈も付けた。四国さんが詩作への思いをつづった文も収めた。
最後を飾る無題の詩は、四国さんが生前繰り返し語っていた敗戦時の記憶。旧ソ連軍に連行される途中に見た、女児2人が高粱(コーリャン)畑をさまよう光景だ。前に並ぶ詩とは味わいが異なる。語りかけるような口語調で、「どうしてこのような」という問いかけで終わる。
「父は生前、自分の作品は反戦平和のために活用してほしいと常に言っていた」と光さん。世界で戦禍が続く今、「戦争とは何か、父の表現を通して追体験することで、実際の戦争を遠ざけてほしい。そんな役割を本書が果たせたら」と話す。
(2024年8月22日朝刊掲載)