緑地帯 天瀬裕康 原爆文学いま一度⑦
24年8月22日
大田洋子(1903~63年)は不遇な作家だと思う。少女時代は母親の度重なる離婚で傷つき、本人は「結婚」したら夫に妻がいた。複数の文学賞受賞で作家として自立するが、45年1月に、東京から広島市白島九軒町(現中区)の妹の家に疎開すると、8月6日に原爆投下だ。
以後は名作というべき原爆小説を次々発表したが、しばしば周囲と衝突を起こしている。米国の精神科医で作家のロバート・リフトンは「死の内の生命」において「プライド、不安、虚栄、猜疑心(さいぎしん)」など大田の欠点を挙げている。2011年に私は小説を書くため、大田のめいで著作権継承者の中川このみさんに大田の住所一覧を送っていただいた。1930年から53年までの間、17回も転居があった。
他面、終戦直後の原爆作品で、廃虚の広島に15トンの医薬品を届けたスイス人医師マルセル・ジュノー博士に触れているのは、大田の「屍(しかばね)の街」くらいのものだろう。繊細な目配りだ。「大田洋子被爆の地」と刻んだ文学碑を建てた宝勝院前住職の国分良徳さん(昨年94歳で死去)から、2012年に「優しいまなざしも感じられた」と大田の別の一面を聞き、なんだかホッとした。
その後私は、福島県猪苗代町の旅館五葉荘における彼女の死亡前数時間を「流転の果て」の題でラジオドラマ化したが、館主の酒井一也さんから大田最晩年のことを聞いたのは、15年11月だ。大田の顕彰には「定本大田洋子全集」の出版も望まれる。(作家・詩人=広島市)
(2024年8月22日朝刊掲載)
以後は名作というべき原爆小説を次々発表したが、しばしば周囲と衝突を起こしている。米国の精神科医で作家のロバート・リフトンは「死の内の生命」において「プライド、不安、虚栄、猜疑心(さいぎしん)」など大田の欠点を挙げている。2011年に私は小説を書くため、大田のめいで著作権継承者の中川このみさんに大田の住所一覧を送っていただいた。1930年から53年までの間、17回も転居があった。
他面、終戦直後の原爆作品で、廃虚の広島に15トンの医薬品を届けたスイス人医師マルセル・ジュノー博士に触れているのは、大田の「屍(しかばね)の街」くらいのものだろう。繊細な目配りだ。「大田洋子被爆の地」と刻んだ文学碑を建てた宝勝院前住職の国分良徳さん(昨年94歳で死去)から、2012年に「優しいまなざしも感じられた」と大田の別の一面を聞き、なんだかホッとした。
その後私は、福島県猪苗代町の旅館五葉荘における彼女の死亡前数時間を「流転の果て」の題でラジオドラマ化したが、館主の酒井一也さんから大田最晩年のことを聞いたのは、15年11月だ。大田の顕彰には「定本大田洋子全集」の出版も望まれる。(作家・詩人=広島市)
(2024年8月22日朝刊掲載)