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連載・特集

広島と映画 <2> 序破急 取締役総支配人 住岡正明さん 「ひろしま」 監督 関川秀雄(1953年公開)

埋もれた大作 世界に届け

 広島で映画の仕事をして44年になりますが、こんなに驚いたことはありません。同時に無知さが恥ずかしくて情けなかった。実は2011年に八丁座(広島市中区)で上映するまで、「ひろしま」という映画を全く知らなかったのです。

 映画は原爆投下8年後に作られています。監督は1950年に「日本戦歿(せんぼつ)学生の手記 きけ、わだつみの声」を撮った関川秀雄。教育学者の長田新が編集した文集「原爆の子」を八木保太郎が脚色し、原爆投下直後の広島の惨状をリアルに再現しようと試みた大作です。当時の日本教職員組合を中心にカンパで製作費を集めました。赤ちゃんから老人まで、被爆者を含む延べ8万人以上の市民が撮影に協力したそうです。

 子どもたちと川に沈んでいく教師役を熱演した月丘夢路は当時、松竹の専属でした。広島市出身の彼女は会社を説得し、ノーギャラで出演したそうです。岡田英次や山田五十鈴をはじめ、そうそうたる顔ぶれが参加しました。助監督には若き日の熊井啓もいました。

 物語の舞台は原爆投下から7年後の広島。被爆体験と向き合い、懸命に生きる子どもたちの姿が描かれます。原爆が落ちた瞬間、荷物を運ぶ馬が震えて倒れる場面はいつ見ても衝撃的です。平和を願う群衆が、原爆ドームへ向かって歩くラストシーンは強烈です。

 米国側に配慮した大手映画配給会社が、いくつかのせりふをカットするよう公開前に打診しましたが、製作側はノーと答えます。勇気と挑戦と使命感に、ただただ感服です。大手による配給はかなわず、自主上映にとどまりました。55年にはベルリン国際映画祭・長編映画賞に輝いています。

 月日は流れ、2011年。「ひろしま」の監督補佐を務めた小林大平の長男で、この「埋もれた大作」の上映活動に取り組む小林一平さんと出会いました。時代を超えた作品の素晴らしさ、崇高さに感激した私たちは、八丁座で3週間の上映を決めました。

 当時のデジタル素材はブルーレイ版だけ。17年にデジタルリマスター版が完成し、私たちの会社が費用を負担して、映画館でデジタル上映するためのデジタル・シネマ・パッケージ(DCP)を作りました。8月には毎年のように上映し、観客は年々増え続けています。

 1952年の新藤兼人監督の「原爆の子」と同じ、伊福部昭が音楽を担当しています。原爆投下の爆発音はピアノ1台で表現したそうです。54年には本多猪四郎監督の「ゴジラ」の音楽も手がけ、「ひろしま」から転用された曲もあります。今や「ゴジラ」のテーマ曲は、世界中の人が知っています。広島の力を結集した特別な作品「ひろしま」は、これからも注目されることでしょう。

すみおか・まさあき
 1951年、広島市中区生まれ。80年にサロンシネマ(現序破急)入社。番組スケジュール表「エンドマーク」発行やフィルムマラソンなどを手がける。まちなか映画館「八丁座」「サロンシネマ」の開業に尽力。

はと
 1981年、大竹市生まれ。本名秦景子。絵画、グラフィックデザイン、こま撮りアニメーション、舞台美術など幅広い造形芸術を手がける。

作品データ

日本/104分/白黒/日本教職員組合 映画「ひろしま」製作委員会
【撮影】中尾駿一郎、浦島進【美術】平川透徹、江口準次【録音】安恵重遠
【出演】加藤嘉、原保美、河原崎しづ江、岸旗江、利根はる恵、神田隆、月田昌也、徳永街子、薄田研二、三島雅夫、花沢徳衛、信欣三

(2024年8月24日朝刊掲載)

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