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[ヒロシマドキュメント 1945年] 8月24日 被爆外国人神父「平安を」

 1945年8月24日。ドイツ出身のクラウス・ルーメル神父(2011年に94歳で死去)は、中国山地の帝釈峡(現庄原市、神石高原町)で被爆後を振り返る日記を日本語で書いた。広島で6日に被爆したイエズス会の外国人神父・修道士16人の一人だ。

 「何回も死と云ふものの一番恐しい姿に出合った(略)なくなった人の為葬式ミサを歌ひました」(以下24日の日記)

 爆心地から約4・5キロの祇園町(現広島市安佐南区)の長束修練院で被爆。被災者の救護に努めた。「葬式ミサ」はまだ広島市内にいた16日に開かれ、司祭として説教をした。「(ミサは)各々の家族に死亡者一人、二人、三人位ありました」

 その後、「警察は軍部の騒乱を恐れて、この世を離れた所に移動する命令を発した」。降伏に反対する騒乱事件が東京などで起きており、同種の事件で外国人に危害が及べば大問題という懸念が働いたとみられる。

 ルーメル神父は、被爆時に即死を免れた人も相次いで亡くなっていると記し、「主よ、汝の平安を我等に与へ給へ!」と日記を結んだ。しかし、収束は見えなかった。

 都内にあった東京帝国大(現東京大)の付属病院では24日、俳優の仲みどりさん=当時(36)=が亡くなった。各地を回って演劇していた「桜隊」の一人で、広島市中心部の宿舎で被爆していた。

 16日の入院時点から白血球数は異常に少なく、高熱や体の点状出血の症状もあった。病理解剖され、放射線医学の専門家の都築正男教授(61年に68歳で死去)は「原子爆弾症」と診断した。臨床経過や病理解剖を伴って専門家が下した最初の診断例とされる。(編集委員・水川恭輔)

(2024年8月24日朝刊掲載)

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